who am ?I

PAGE TOP

  • 09
  • 26

パティ・スミス

スキャン2517.jpeg
「シャウト!金髪先生」ドリアン助川のロックで講義 テレビ朝日

パティ・スミス

悲しみの「乳母車工場」

 パティ・スミスは1946年、アメリカのシカゴで生まれている。
幼いころは父親の仕事の関係でフィラデルフィアなどを点々とするんだけど、女子高生のころとなると、ランボーの詩やピカソの絵にあこがれるような、いろいろな芸術関係に完成をときめかせる少女に成長します。もちろんそのころは自分自身が表現者=アーティストになることなど考えもしていなかった。
 その後大学に進学して、20歳のときその大学の教授と恋仲になり、こどもを身ごもってしまう。そして67年に出産。ところが、教授は結婚はおろか、いっしょに生活もしてくれない。パティは乳飲み子をかかえてシングルマザーになってしまうんだな。これでは大学なんて通っていられない。パティはそれまでの生活をすべて捨てて、子供のために乳母車工場で働きはじめる。でも、20歳の女の子にとって世の中はまだまだきびしかった。生活に行き詰まって子供を育てられないと観念した彼女は、子供を里子に出してしまいます。このとき以来、パティは心の中に、とてもつらいもの、とてもきびしいものをかかえるようになるわけです。このころパティは「Pis  Fsctory」という詩を残している。Pisは子供言葉で「おしっこ」というスラング、つまり「おしっこ工場」というのは「乳母車工場」の意味です。その「乳母車工場」という詩にはこんなことが書かれている。

 もうこんな街から逃げてやる
 私はニューヨークに渡ってスターになるんだ

 苦しい中にもきびしい決意が見られる言葉だね。これがのちに「ニューヨーク・パンクの女王」と呼ばれるようになるパティのスタートラインでもあったわけだ。

***

パティ・スミスのドキュメンタリーをだいぶ前見たんだけど 「この人男だと思ったら女なんだ」とばかなことをおもったんだけど あの顔やカッコウを見たらみんなもそう思うかもしれないよ。
彼女も20歳の時 こういうことがあったんだな。 その大学教授 後にパテぃ・スミスがロック歌ってるのを見て ま いいかそんなことは。 
それでも子育ては無理と観念して 子供を里子に出してしまうんだね。この影みたいなものがまたロックには。
まさに こなごなに砕け散った音が聞こえて来るような叫び。 これがロックなんすね。
「もうこんな街から逃げてやる 私はニューヨークに渡ってスターになるんだ」

PIs  Factory 「おしっこ工場」というのもまさに子育てのそのとき これもロックなんすかねえ。

あのドキュメンタリーをみたとき わたしはどういうことを思ったんかな?
だいたいロックって何?


あっ NEKO美術館 ロックにふさわしい子供の絵。
あついねぇ


《 2016.09.26 Mon  _  1ぺーじ 》