そこのけしきになっている NEKO美術館
ひるさがり
崩れかけた壁土を見ながら
そこにすんで かおあらって その馴染みの道を
歩いてみる
これを経験空間と呼ぼうかな 仮想空間じゃなくてね
それがきまぐれなわたしの 束の間の時間
だからわたしはテレビで 十分なのだ
わたしは子供時代に 村のかなりのところまで
歩いている
母にもついていった
そのなかで 馴染みの景色が 身についているのだろう
そこは わたしの村だけではなく 各地にありそうだ
テレビでも この田舎の古い壁でも すぐにそこに
立ってみる 手品のようにね