蓮以子 80歳 北林谷栄 新樹社 1993
初舞台 つづきです
俳優としての誕生を意味するはじめての舞台は、1937年秋の、新協劇団の「どん底」である。私は憧れの新協に入ることができ、まもなくこの公演で淫売婦ナスチャの大役をあたえられた。
このときの舞台写真の裏に、先輩たちにおねがいした記念の寄せ書きがのこっている。
ーナスチャは実によかった。楽しみだった、ルカをやった修
ー同じ芝居で舞台に一緒にいたことがないナスチャとペペル、宇野重吉
ー舞台のナスチャは柄が悪いがふだんはどう、大森義夫
ーナスチャ良くヤッチャ、偉いヤッチャ、鶴丸睦彦
空襲のとき持って逃げた大事なもののなかにあった写真は、二十五歳の私の八方破れの面構えを、もうだいぶ茶色に変色させている。
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きのうは 「ネエ、いま帰ってしまったら、大変なことになりますでしょうか?」
のところで 私は笑い転げ 救われてそのページは かわいい風呂敷につつんで 大事にいざという時のためにとってありますですが。
しかし今日の彼女はすっかりナスチャという役をもらって ちゃんと俳優として舞台に立っています。いやぁ おそれいります。
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さてNEKO美術館です。
このショクパーンナという顔俳優は 私のモデルとしてがんばってくれましたよ。ナスチャは「どん底」という舞台。ショクパーンナは「悲劇」という舞台で。じつは彼はねずみにすこしずつかじられまして えらもげっそりおちて なかなかの顔にはなりましたが。いつか他の役でお目にかかることもアロウかと思います。
さいならさいなら