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蓮以子80歳

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「蓮以子80歳」 北林谷栄 1993 新樹社

自画像 つづきです

 おなじ頃のことだ。
 私は祖母の隠居所から連れられて、ときどき銀座にある父の家(お店と呼んでいたが)にも出かけた。ある夜、そこからの帰りぎわに、風船があるから持って行け、といわれた。風船の置いてあるという座敷に行ってみると、片すみに二つの赤いゴム風船がフラフラおっ立っていた。ひょいと気がつくと一つはゴムの膚がもう汗ばんで、シワシワに小皺がかげを見せはじめている。それは、もうすぐしぼむものと見てとったので、他のひとつの、まだハチ切れそうな元気なのをとって部屋を出た。ところが新橋の駅あたりまでいくと、奇妙に心が疼いてくるのを感じはじめた。よいほうを自分がうばいとってきたかのような、なんともいえぬもやもや息苦しい感じ、大げさに言えば生まれてはじめて罪悪寒のようなものを知ったのは、このときだ。
 これも、私の気弱さの別の一面を語るものだ。しかし、裏返せば、自分の条件のほうは
忍ぶ、という一種の強さに通じるかもしれないが、とにかく通常の生存競争に打ち勝っていくには、どうしてもマイナスの働きをするあるもの、それはその頃を始めとして私の心のなかで育っていった。何度も言うが、いまでも上からおさえつけるにもかかわらず、それは心のなかでじつによく頭をもたげる。

***

今にもしぼみそうなふうせんを選ばず はち切れそうなパンパンの風船を選んだ 蓮以子。ここまでは たいがい子どものやりそうなことですね。
ところがその後にきた なんともいえぬ息苦しさ 生まれて初めての罪悪寒を知ったこと。彼女はこういうことを「気の弱さ」としてとらえている。まるでそれが「気の弱さ」の条件でもあるかのように。

それで話は終わらない。
「しかし、裏返せば、自分の条件のほうは忍ぶ、という一種の強さに通じるかもしれないが、とにかく通常の生存競争に打ち勝っていくには、どうしてもマイナスの働きをするあるもの、それはその頃をはじめとして私の心のなかで育っていった。」

「自分の条件のほうは忍ぶ」
いまじっくり考えているところです。彼女はせっかくパンパンにふくらんだ風船を手に取って部屋を出たのに。 私なら 罪悪感が何ともいえない息苦しさとともにやってくるかなぁ。やっぱり まわりに先取りをされることはあっても(これが多かったんだ)その後は うれしいだけだったかもしれない。
ここがちがうんだなぁ。

この本は なぜか自分の子ども時代を思い出させますね。
わたしなんかほしいものは どんなしてもほしかった。つまりわがままやったわけでしょうね。それはしつっこさにも通じている。家にもそんな子いるなぁ。それは生きていく上で マイナスになるのか なんてことを蓮以子といっしょにならんで思い出したりしてね。
彼女は「自分の条件を忍ぶ」美しいものを手に入れましたね。


そうそうNEKO美術館発の時間です。
この「カンカン帽」これは祖父のかぶってたものか 父なのか。
わたしが大道芸人だったら 芸はへただから このカンカン帽を持って 客の回りを一周してお金を入れてもらいます。 親方に芸をまかせてね。 帽子の上にあるのが親方のイメージです めがねにしてもいいんですよ 別人のようになりまっせ。
手前にあるのは 何にしようかな。 ここからわたしはのぞいて 景色を見たり 手相を見たりしようかな。「あたるもはっけあたらぬもはっけ」お母ちゃんがよく言ってました。そういえばこの頃あんまりそういうようなこと言いませんね。「あたります」といいきらないとしめしがつかないような 世の中なんですかね。
子供の絵もありますよ。 私も描き散らかしましたが こどもたちもいっぱい描いてますよ。 紙芝居のようにときどき入れ替えてます。

さいならさいなら

《 2016.09.05 Mon  _  1ぺーじ 》