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ピカソとその周辺

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「ピカソとその周辺」 フエルナンド・オリヴィエ 佐藤義詮訳

上り坂 つづきです

 食卓は以前より寂しく、儀式張った窮屈なものになってしまった。しかし、和解させられたマックス・ジャコブとオランが以前のように「仲の良い仇敵」に復して、機智に富んだ言葉を乱発し、笑いながら面と向かって相手の棚下しをし合うような日は例外だった。
 時には二人ともかっと腹を立てて、コップこそいい迷惑だが、その中身を相手の顔に乱暴にぶっつけ合うのだった。しかし怒りは瞬く間に鎮まって、また機智に富んだ会話のやりとりが始まるのだった。
 クリシー大通りのピカソの食堂は狭い方だったが、フローショ並木道の立木に面した窓が二つあったので、とても陽気な部屋だった。桜材の古風な食器戸棚が部屋の中仕切り一杯に場所を占めていて、太陽が照ると、その古い桜材の暖かい色調に反射して、まるで部屋の中に太陽があるようだった。陽の光が、マホガニーの小型オルガンを照らしていた。誰も奏けなかったが、ペダルを踏むと出てくる香の匂いを嗅ぐために、みんなが音階をやってみるのだった。四隅にはやはりマホガニー製の家具が置いてあり、その上には丘の古道具屋で見つけた銅器や()器や陶器が載っていた。
 ピカソが牝猿を飼っていた時は、そこにこわれやすい物を置くことを避けねばならなかった。猿は悪戯を始めると、()払えたものを一つのこらず床に投げつけて喜んでいたから。

***

「クリシー通りのピカソの食堂は狭い方だったが、フローショ並木道の立木に面した窓が二つあったので、とても陽気な部屋だった。桜材の古風な食器戸棚が部屋の中仕切り一杯に場所を占めていて、太陽が照ると、その古い桜材の温かい色調に反射して、まるで部屋の中に太陽があるようだった。陽の光がマホガニーの小型オルガンを照らしていた」

とても温かい光景を見せてくれますが 今はこの食堂ではないんでしたっけ?
きれぎれに打っている私さえも どういう風な続きになっていたのか わからなかったりして みなさまおそれいります。
ピカソを取り巻く人間関係も いろんな変化をたどっていくのでしょうね。オリヴィエが言っているように 以前より寂しく、形式張った窮屈なものになってしまったようですね。「マックス・ジャコブとオランが「仲の良い仇敵」に復して、機智に富んだ言葉を乱発したり、笑いながら面と向かって相手の棚下しをし合うような日」では もう なく。
 飼っていた牝猿もいなくなって 物を壊されることもなくなったのでしょう。

()の1つ目は錫器(しゃくき 銀と鈴の間の器) ()の2つ目は(うれえた)と書いてあったんだけど。このように発音が判らないと パソコンではいまの私では調べられません。でもこの間買った枕のようにおおきな白川静さんの辞書では 「遍」で調べられるのですね。「この辞書分厚くてもやっぱりわからんわ」とつかっていなかったんですけど
これで好きになれるかも(何を若いこといっとんじゃい)

       *

さて NEKO美術館はこのとうり物が入り混じって 存在しています。でもこれはわたしにしかわからないのでしょうが 8の覆面は消えました。孫に一回被らせてみたかな。

そうそう このだいだい色のスケッチブックは 「一軒のNEKO美術館」です。黄色の菱形マークはわたしが再び入館したという印です。 何軒ものスケッチブックですから こうしておかないと長い間に一巡することができないでしょう。 一軒のなかの1ページをアップすることが多いですね。投げ出さずに後始末をしようとしているところは なかなかやるでしょう?

ふくろうですか みみずくですか まんまるの目がこの場所の主人公であるかのようです。
人生が終わるまでこのNEKO美術館はつづけるつもりですが できるだけたくさん 皆様に見ていただければ いいのですが さて

さいならさいなら
《 2016.09.01 Thu  _  1ぺーじ 》