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シューマン

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「音楽と文化」 河上徹太郎 創元社 昭和13年

シューマン つづきです

 このことは先づ第一に彼の作曲の形式の上にあらわれ、とくに初期のピアノ曲などに浪漫的な標題を持つなり情緒を帯びるなりした小曲集が多いこと。ならびに歌曲の台詞の選び方や伴奏の部分部分での気分の取り扱い方に浪漫文学的な偏好が(好み)自ずと現れていることなどで知れる。次には彼が文筆の上での浪漫音楽の闘士として活躍したことで、即ち1830年から44年まで彼の21歳から35歳の働き盛りに「新音楽雑誌』という雑誌にかかわり、大いに保守主義や俗物主義に対して筆陣を張った。この論文は、今日「音楽および音楽家」と題して未だに遺っている。それは雑誌原稿の性質上時事的な題目が多く、1世紀も経った我々には我々には縁のない部分も多いけれど、通読すれば流石に明確な立論に満ち、更に年代的に見て予言的な判断に富んだ所の、音楽史家にとって貴重な文献である。とくにショパンやブラームスの若き天才を本書で認めたのは、シューマンの浪漫的熱情の真正さを示す。

***

きょうテレビで「ベートーベンのヴァイオリンソナタとシューマンのヴァイオリンソナタ」を二人の若手のヴァイオリンニストで聴きました。このヴァイオリンソナタという曲目があってるとして(ヴァイオリンでしたからそう思ったんですが あってるかなぁ)
この人はベートーベンやシューマンの気持ちや人生に思いをはせながらヴァイオリンをひいているのだと言っています。
なるほど シューマンもこうして本を読んでいきますと いろんなことがあり 苦しい病がありますね。
画家たちもまた。人は人として生まれて 苦しいことなしに一生を終えることはなさそうですね。  
シューマンの曲にはそういうものがにじみでているはずなのですが 私の耳は残念ながら聞き取ることができませんでした。でもこうして読み取ることは 好きです。

「新音楽雑誌という雑誌にかかわり、大いに保守主義や俗物主義に対して筆陣を張った」
がんばっていたんですね。でもそれまで確立されていたことに対してものをいうということは大変なことだと思います。曲作りにおいても。

さて わすれてはならないのが NEKO美術です(笑い)最上階の写真 オペラグラスでごらんになってください。
これは想像するに金持ちの貴族なんです。大きな口でぺらぺらおしゃべりしそうな。音楽会でも扇子もってオペラグラスできょろきょろしてたかもしれません。
いやオペラ歌手かもしれない。オペラは体力いりそうですからねぇ。

クララ・シューマン(シューマン夫人)はもっとやせています。次のぺーじあたりから出てくると思うな。

さいならさいなら  


《 2016.08.29 Mon  _  1ぺーじ 》