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ピカソとその周辺

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ピカソとその周辺 フエルナンド・オリヴィエ 佐藤義詮訳 昭森社 1964

上り坂

 彼らは彼を(ピカソ)「天才的」だと考えて、実に大袈裟にそれを彼にいったので、これには彼もたびたび辟易した。これに反して、ある支那人はピカソから喜んで迎えられていた。彼はこのアジア人がとても気楽に画室を歩き回って、その考えを述べる前に、長い間観察し、研究しているのを見ているのが面白かった。この支那人は数回訪ねて来てから、理解したと信じ、ピカソに向って、彼くらい描けるようになるまでにはどれほどの年数が必要だろうか、とだけ尋ねた。
 ピカソはめんくらって、こんな場合によくするように、答えようもないので、笑い出した。
 それに私は、ピカソは自分の方から攻勢に出る時以外は機智的でないということを、前から気づいていた。不意打ちを食らうと、彼はまごついてしまって、何とも言えなくなるのだった。彼をよく知っていないと、許し難いほどの、独特な人の心を刺す頓知が彼にはあった。その上彼の友人たちアポリネールやとくにマックスジャコブは、しばしば残酷なほど彼の機智をはやしたて、すっかり面白がるものだから、彼はますますそれに勢いを得るのだった。
 ある日、ラパン・ア・ジルで彼が画家のアルフレッド・ロンパールからフォーショワに紹介された時のことを、私は覚えている。ルネ・フォーショワは<ベートーヴェン>を出版したばかりだった。
 「ああ!フォーショワさんですか、お目にかかれて嬉しいです。アルチュール・メイエとかベイエとかいう本をお出しになったのは、あなたでしょう?」
 ピカソは、けれども、ユダヤ人排斥論者ではなかったが、機智に富んだ言葉を弄する楽しみを抑えきれなかった。
 彼は自分の本心以上に意地悪な機智を見せびらかすのが好きだった。彼のいじわるが癖になったのは、そのためだと思う。彼は気前がよくはなかった。そして彼の友人は彼と面と向かってはそれを口に出さなかったが、彼をそのような男だと考えていて、仲間内ではわらいものにしていた。
 しかし一党の間ではほとんど共通だったこの欠点を、どうしてピカソだけが非難されるのか?なぜなら、マックス・ジャコブは別として、一体誰が「気前のよい」人物だったか、あるいは大してそんなところもないのに、救われるような顔付をしていたのは一体誰だったか?
 たとえばパコ・ジュリオのような人々が友人を助けるために、友人が少しでも自由に仕事ができるように、自分は喜んで食べるものを食べずにいたり、不自由を忍んだような時代は過ぎ去ってしまった。
 とはいえ、ピカソの食卓は昔通り誰にでも解放されていた。だがもう以前のようには、一向に楽しくなかった。

***

ピカソの欠点は「彼は気前がよくなかった」ですか。
 「気前いいね ピカソは」なんてことをまわりに言わせることに興味がなかったのかも知れないし わかりませんね。オリヴィエはそんなところでも よくまわりを観察していますね。 ピカソがぬきんでて売れはじめると それまでおなじように食卓を囲んでいても ちがうふうになってきて おもしろくなくなってきたんですね。

さてとこの絵はピカソではございません。NEKO美術館発です。
わけのわからん絵を 説明する手だてはございません。
描くことがなくなると こういうことをやってたんです。
最近 「自分にさえ分からん絵を無理して描かんでも 奇抜な絵じゃなくていいやん」と思うこの頃です。年取ったんかなぁ。

さいならさいなら

《 2016.08.24 Wed  _  1ぺーじ 》