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ピカソとその周辺

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ピカソとその周辺 フエルナンド・オリヴィエ 佐藤義詮訳 昭森社 1964

 上り坂

 生活は再び上昇の道をたどった。
 多数の人々がピカソのアトリエを訪れたがった。オーストリー人、スペイン人、ハンガリー人、スウェーデン人、ドイツ人、日本人、支那人が彼の家で顔を合わせた。スタイン兄妹と、彼らが前衛芸術に「転向」させようとしていたその友人の幾人かを除いては、アメリカ人はほとんど来なかった。しかし彼らを転向させることはむずかしかった。何となれば、アメリカ人の目から見れば、当時ピカソはまだ充分「成功」していなかったから。
 往々真に芸術的であるというより、理知的だったオーストリー人、ドイツ人、スウェーデン人たちは、ピカソノ新しい技法に、それが充分持ったことのない、深い哲学的な意味を付与していた。
 彼らはたびたび芸術家を不快がらせるほどまでに、彼と議論した。それに、ピカソは口で考えを述べることを強いられた時は、いつも不快になったものだ。

***

「アメリカ人から見れば、当時ピカソはまだ充分「成功」していなかったから。」

ピカソは上昇の道をたどりながらも 世界中の誰もが知るピカソという訳ではなかった時
の話ですね。多くの人がピカソノところへ やってきては議論をしたがったんですね。
ところがスタイン兄妹と幾人かを除いては アメリカ人はあまりやって来なかった。
ええっとそのころの芸術の拠点は とくに前衛芸術に関してはニューヨーク辺りだったんですかね?

「オーストリー人、ドイツ人、スウェーデン人たちは、ピカソの新しい技法に、それが充分持ったことのない、深い哲学的な意味を付与していた。」
1912年キュビズムはじまる、その頃のアメリカは前衛芸術を求めていた?パリのピカソはそういう意味では アメリカ人の蒐集家にみとめられることが 上昇することだったんですかね。美術史を知らないわたしはまとまりがありません。

これはどういう意味かなぁ。つまり芸術的にというより その絵の中に哲学を関連づけようとした?。 芸術をなんらかのかたちで意味付けようと たとえば哲学的に説明とかするとどうなるか。 描いている本人は はじめはふむふむとなっても 「じゃかましーわい」となりそうだな。

人って表現すると 「わけわからんわー」だけではすまされへんのですね。そのくせ 描いた人は なにかいってほしい。

さてと わたしの出番です(笑)
これは むかって左側のガラスの入れ物です。 生まれ育った所での話ですが わたしが子供の時からずっとあった「おしょうゆさし」です。 あのお茶びんといっしょで(おぼえてますか)そこにあることがあたりまえでした。 世の中には他のかたちのおしょうゆさしがあることも 気づかなかったくらい。 自分が外に出ることは そういう他のものを知ることだったように 大げさですが思います。 ほかにも石や木の箱や顔がありますが このおしょうゆびんとコラボレーションしてくれた相手たちです。
このなかに哲学はあるかなぁ。 ねえ バンダーイのウルトラくん どうです?
いえねピカソにはまわりにすくなくとも 哲学とかやいのやいの言ってくれる人がいたわけで はい。

さいならさいなら
《 2016.08.18 Thu  _  1ぺーじ 》