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蓮以子80歳

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蓮以子80歳  北林谷栄 新潮社 1993

いま北林谷栄さんの「自画像」のところを打っています。
この上の絵はわたしが描いた 親戚の女性です。北林さんとは全く関係がありませんが。
こんなところに入れてみるのも おかしいのですが ひとりの女性を描いてみた私は 「女性」という共通項で入れてみます。

「自画像」つづき

 私は恋愛というものを、愛というものを非常に大事に、というより捨て身に考えずにはいられないが、その底にある一服の清涼の感じは、祖母がわずか4、5歳の私に倦かずささやきつづけたあのことばによるような気がする。私はこの祖母を愛し、一挙手、一投足も、哀憐の情なしで見ることはできなかった。この祖母は昭和20年の夏、終戦を見ずに84歳でこの世を去ったが、その間の三十年あまりの歳月を、私の内部に生活印象として蓄積されたこの祖母の言行は、強烈に生きている。私は、そういう祖母に育てられた。私は、まだ乳をのむころから母を失ったので、祖母の真の子どもといっていいほどであった。
 例の勤倹力行型の祖父は、明治初年の舶来文明がお先走りの時代人にもてはやされ、封建的な土壌の上に形式上の異国趣味が急激に取り入れられはじめたその時流にのって、明治初年、やっと開化した銀座通りに西洋輸入の問屋をひらいた。商売は機運にめぐまれ、
数年後には間口九間、倉庫にはトロッコを通わせた店舗を、煉瓦通りにデンとかまえた。そして、私の父は一粒種としてほしいままに育てられながら、いっぽう祖母の方針で、嘉納治五郎の塾に幼少から入れられ、厳格な教育を受け、そのためでもあるまいが、娘の私のみるところ、生活的なもろさと、狂気じみた癇癖(過度に怒りっぽい性格)との両面を持つ、精神のコントロールのへたな人間にしあがってしまったようだ。

***

はじまりましたね蓮以子 北林谷栄の父母 そして乳飲み子の時に母を亡くし 蓮以子をその時から育ててくれた祖母の話が。俳優北林谷栄はおばあさん役になるには いい環境にといいますか おばあさんを子供の時から十分観察できる所に育ったわけですね。
そして明治 やっと開化した時代 銀座通りに西洋輸入の問屋を開いた祖父は時流にのった人だった。その一粒種が彼女の父。 幼少の時から 厳格な教育を受け、娘の見るところ 生活的なもろさと、狂気じみた癇癖との両面を持つ 精神のコントロールのへたな人間にしあがってしまったようだーそういう風に見ている。

「この方のところへならお嫁に行きたいと思う方のところでなきゃ、決してお嫁に行っちゃいけませんよ」このようなおばあさんの言葉のひとつひとつが 蓮以子のなかに生活印象として蓄積されたんですね。どんなことを彼女に言ったんでしょう。私も聞きたいです。

私はこんなところに 親戚の女性のスケッチをのせてみた 理由付けができたような気がします。この女性はよく知っている人であり 若いころから一緒におしゃべりをしたり 買い物にも行き 私が結婚してからもこどもたちの大好きな人でした。面倒見がよくて。私はときにそんなよく知ってる人をスケッチさせてもらいました。自画像もそうですが 描くとき もしかして本人はここまで描いてほしくないと思いそうな所に 魅力を感じることがあります。そういうものも入っていて描くことだと 若い私は思っていたようです。

俳優北林谷栄の観察はすでに子供の時から まわりの大人を観察することで はじまっているようですね。 その確かなこと。
さあ 次は どんなことがかいてあるのかな

さいならさいなら



《 2016.08.11 Thu  _  1ぺーじ 》