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あそび

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いつもの妄想  若いとき NEKO美術館発

わたしは ミヒャエル・エンデの「あそび」についての話
に 興味をもちながら 耳をかたむけています。

生きる事 死ぬ事でさえも 「あそび」にいれてしまう

これは たとえばですよ わたしは若い時に 149センチの
身長で それにコンプレックスを持っていたと思います。
ところが 「あそび」では背の高い 鼻も高い ウエストも細い
魅力もある美人に 描いてみて その気分を想像する事ができたのでしょう。

何枚も何枚も同じような絵を描いていたという事は 無意識の内に
そういうことだったのかもしれません。そしてそれはとても楽しい
ことだったのです。
つば広野帽子だって さりげなくつけたイヤリングだって おしゃれを
したつもりになっていました。

このように 「あそび」は現実をなげきつつも こうして描いてみる事で 夢を忘れる事はないのでしょう。
そしてそのうちに 生きるなかで成長もし学ぶ事もあり 自分の顔や容姿に「これでいいね」と納得するようにもなるのでしょう。

わたしはミヒャエル・エンデは死ぬ前にほんとにいい事を云ってくれたと思います。
「あそび」がこんなに範囲をひろげられることとか われわれの生きていく上で
絶望的な事でさえも 救ってくれるなんてね。 自分たちの生きてきたなかで そして今でも 「あそび」はありますね。

《 2016.07.24 Sun  _  コラボレーション 》