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カンディンスキー

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カンディンスキー 点・線・面 ー抽象絵画の基礎ー1959 西田秀穂訳
美術出版社

カンディンスキーは点や線や面をどうおいていったのか そうするには何か意味があるのか 知りたいと思いませんか? 今回はわかるかな。


この新しい芸術のジャンルの内面的構造、精神、その理念を認識しないまま、ただただ外面的な形式的要素のみを頼りとして、それに近づいていったことに、一部の理由があるように思う。
 絵画の世界で探究しつつある人々にとって、すぐれた芸術家にして思想家たる人の手になり、豊かな経験から産まれた著作ほど、適切な書物はないであろう。
と1955年マックス・ビルは紹介しています。

わたしは十代のとき 景色を見たり人物を見たりして絵をかくことはわかりやすく 見ることも自分で描く事もそれでした。
 点や線や三角や四角が画面のなかに配置してあると見えた抽象画は 単なる自由という気まぐれであろうかと思っていました。
「抽象画のほうが 想像がふくらむからいいの」という人に会えば 「そういうもんなんだ」思おうとしました。
「目をほそめて ぼんやりみえるものが それでしょう」とか「省略」とか 「他人にわからなくていいものが自由」いろいろ勝手に「抽象画」というものを受け取っていたのでした。「ピカソは子供の描くような絵を描きたい」そういったから「それは子供よりのもの」とかね。

しかし 抽象画はどんどん増えていき ひところはどこでも抽象画でした。
でも「なんとなくあきてくる」というのは 「自分にその手の才能がないのかいな」とも思いました。「自分にわかるものがやっぱりわかりやすいなぁ」そんなふうにもじもじ思っているうちに なんだか今ごろは しっかり描き込まれた「技術がないととうてい描けませんわ」というような絵が先頭を走ってきているようにも見えます。

わたしにはまだ「あの抽象画のよさとか疑問」が解決されていないのにね。
日本画では若冲など もうどうひっくりかえってもわたしには描けない江戸時代の絵。
シュールでもやはり技術的にかなり高い作品たち。
ねうちは たしかにこちらに軍配が上がりそうですが せっかく私の生きている間に出会った 抽象画について かじってみたいのです。きょうはその入り口を開けてやろうとしてくれたカンディンスキーのことだけでしたが 頭が壊れない程度に進む これがいいんですよね。

さいならさいなら
《 2016.07.23 Sat  _  1ぺーじ 》