ピカソとその周辺 フエルナンド・オリヴィエ 佐藤義詮著 1964 昭森社
ルーブルの盗難事件
スペインに3、4カ月滞在して、丁度パリに帰って来た日に、ピカソは偶然ギョーム・アポリネールと出合った。しかもこれが気違いのようになって怖ろしがっていたアポリネールで、彼の言うところによると、警官に尾行され、追跡されている、もっと詳しく言えば、最近ルーブルで起こった小像盗難事件に関して司法上起訴されることを恐れているとのだとのことだった。ピカソ自身も危ないと、彼は付け加えた。警察はすでにアポリネールの家宅捜索をしたのだった。
事実はアポリネールの「秘書」で、ある有名なベルギー人の弁護士の息子で、確かジェリーと言った音顔が、ルーブルで盗むのは易しいということを証明するために、大胆にも面白半分から、幾度もルーブルに行って、いろいろな小像や面を持ち出したのだった。数年前のことだったが、アポリネールがピカソノ家に連れて来たジュリーは、かなり美しい石彫の小さな面を2個、ピカソに贈ったことがあったが、その出所は明らかにしなかった。彼はただそれらを目立つ処には置かないように頼んだ。ピカソは大変喜び、この贈物を箪笥のおくにしまい込んで、大切にとっておいた。
私がギョームの家の暖炉の上で見かけた小さな像とともに、それが問題の作品だった。
時が経過した。古いノルマンディーの箪笥を掻き回した時、折々その小さな傑作を見かけたことはあったが、その後私たちはすっかり忘れてしまっていた。
一種の気違いで、才気に富み、頭も良い放浪者だったこのジュリーが、ある日厚かましくも、何新聞だったか忘れたが、ある新聞に手紙を寄せ、彼の盗品のことを洩らしたので、それが「ルーブルの盗難事件」に関する記事となって現れた。
急を報ぜられた警察は、直ちに捜査を行い、ギョームが一味の首領だと思った。もしもあの気違いのジュリーが面白半分に検事局に詳細を報告しなかったら、警察は確かに何物も探り出さなかったろう。
彼は自分が通る町という町から警察に投書したので、警官は彼を追跡して、南フランスの町を尋ね回った。しかし彼は逮捕されなかったと思う。
ジュリーがその後どうなったかということを私ははっきり覚えていないにしても、ピカソがアポリネールと悲しい出会いをしてから、「善後策」を講じるため、クリッシー大通りの家に帰って来た日以来、しばらくの間、アポリネールとピカソが送ったあのかわいそうな生活を、私は詳しく知っている。この2人の姿が今でも目に見えるようだ、後悔と恐怖のため、外国に高飛びすることまで考えていた子どものような姿が。彼らが狂乱のあまり、常軌をを逸するようなことをしなかったのは、私のお陰である。彼らはパリーに留って、危険な代物を直ちに追い払うことを決心した。しかしどうしたらいいのか?
***
いやー 推理小説のようですね。
どっかでこの話は読んだことがあるような気がしますが。
「ジュリー〜〜だめじゃん!」あのジュリーじゃないですね(笑)
どんな美しい彫刻だったのか ギョームやピカソやアポリネールを恐怖に陥れたその彫刻はどんなのだったんでしょうね。気違いのようになって怖ろしがっていたアポリネール、みんな警察官だけは怖かったんだろうな。
この間までゴーギャンの話を打っていましたが なんだって法律とか持ち出されて来たら ゴーギャンはその弱ってる体にそれは命とりでした。
外国に高飛びしようかなどと思いつめていたピカソたちを思いとどまらせたのは オリヴィエでした。どういう対処をしたのか つづきは今度となりますが オリヴィエがきものすわった女性だったのか それともピカソたちは案外気が弱かったのか。
今回はピカソが描いた女性の絵はがきをのせました。 が あれこれピカソの作品じゃないの? 絵はがきの後ろを見たらどこにもピカソの字がでてこない。ピカソのにせものってあるのかなぁ。
ところで
ピカソがかかわった女性は オリヴィエ オルガ フランソワーズ・ジロー 泣く女のええっと あと2人 ジャクリーヌと...。こんないい女たちが 次々にピカソに惚れて たいがいふられてる。どういうこと? などと考えながら何枚もの絵はがきの女を見ていたんですが。
オリヴィエはピカソと別れた後 どう生きたのかなぁ 何度かそうわたしは言いましたよね。 いままでにもピカソの仕事ぶりとかオリヴィエは決して嫌そうには書いていない。動物が好きで ときには暗い面を見せる 子どものようにこわがり 自分勝手な所もある。
さいならさいなら