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ブロンテ姉妹

「ブロンテ姉妹」その知られざる実像を求めて 中岡洋 NHKカルチャーアワー2008年

6月3日でぷつりときれておりましたが それは私にはよくあることで お許し下さい。
ずっとゴーギャンにかかりっきりだったので ご無沙汰でした。

家庭教育 日課

 伯母エリザベスはブロンテ家の女主人として家事を取り仕切るかたわら、特に女の子の躾を担当することになっていた。長女マリアがカウアン・ブリッジでだらしがなかったと言われたのはこの伯母の教育の結果である。マリアは知能が高く、幼いながらもきょうだいの面倒をよくみる子どもであたが、生活習慣がだらしなかった。次女エリザベスは学校に入学したときほとんど欠点らしい欠点を指摘されたことの無い優等生であった。シャーロットはお転婆娘であり、エミリは子どものころ「ペット」のようにかわいく、アンは全くの赤ちゃんであった。
 知育面ではパトリックがマリア、エリザベス、シャーロットを担当して英語、地理、歴史を教え、のちマリアにはラテン語と政治学が付け加えられた。マリアは兄弟のなかでもとくに聡明だったため、パトリックは彼女の将来に相当な期待を寄せていたらしい。
年少者たち、ブランウエル、エミリ、アンは伯母が国語や数学などの基礎科目を教えていたが、のちにブランウェルだけは父親のパトリックがマン・ツー・マンで教育をするようになった。 なぜならブランウェルは家族のなかで唯一の男の子であり、希望の星であったからである。
 子どもたちの成長とともに目の行き届かないところが多々出てきた。長女マリアがカウアン・ブリッジで苛められたのは学校側だけの責任ではなく、入学させられたとき「麻疹」や「百日咳」で衰弱していたのは確かで、無理がたたったのであろう。
 1825年から1831年までの5年間(シャーロットの9歳から14歳まで)は完全に家庭教育だけの時期で、結果的にいえば、伯母にすべてを任せた放任主義と紙一重のものであった。

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6人の子どもたちが どのようなくらしであったのか。

伯母エリザベスが女の子の躾担当だったんですが 「長女マリアがカウアン・ブリッジでだらしがなかったと言われたのはこの伯母の教育の結果である。」ここのところが その後のまたその後 マリアがどういう風に大人になっていって 幼いころのことをどういっているのだろうと想像したりして。エリザベスは5人の女の子の躾を担当?そりゃあ大変ですよね。
次女エリザベスは優等生、シャーロットはお転婆娘、エミリは「ペット」のようにかわいく、アンは全くの赤ちゃん。そのなかの唯一の男の子がブランウェル この子は5人の女の子のどこらへん辺りにいたのかしら。しかし当時の男の子は跡取り息子 お父さんパトリックにマン・ツー・マンで教育を受けていますね。
だけどそのころはほかに女中さんとかがいたんでしょうか?
与謝野晶子の家は11人ですか?躾というより日常生活の面倒を見るのは大変すぎますよね。そのうえ文学を夫婦でやってる。昔の人はどうやって子育てをしていたのか 知りたいと思いませんか?
「家庭教育ーいかにして天才は創られたか」今回のタイトルですね。
伯母エリザベスがどういう教育をしたのか「放任主義と紙一重」 面白そうですね。
《 2016.07.07 Thu  _  1ぺーじ 》