who am ?I

PAGE TOP

  • 07
  • 03

ゴーギャン

コレクション 瀧口修造 1991 みすず書房

「ゴーギャン」続きです

 タヒティにいたセガランは、6月か7月にようやくゴーギャンの死を聞いたらしい(フランスのモンフレーは8月末になっても彼の死を知らずに、手紙を書いている)。セガランがマルキーズを訪れたのは、それから1カ月ほどしてからである。ゴーギャンの家はそのまま残っていたが、家のなかは清算人によって持ち去られ、がらんどうであった。衣類や台所道具のような日用品はその場で処分され、作品や絵の材料などの遺品は9月にパペーテで競売にされた。集まったのは商人、役人、海員、行政長官、画家たちであった。行政長官はアルバムを買った。商人はステッキ(握りには、大粒の歪んだ真珠が飾ってあった)と、そして例のバイヤール神父とテレーズの木彫を買った。「弟子のいない絵の先生」は絵筆を仔細らしく指先でためしながら一揃い3フランで買った。パレットは40スウでセガランの手に入った。係が1枚の絵を逆さにおいて「ナイヤガラの滝」と説明したので爆笑が起こった。これはゴーギャンが最後に描いたと思われる「雪のブルターニュ風景」であったが、7フランでセガランが手に入れた。ゴーギャンの家を飾っていた「快楽の家」「多情なれ、汝は幸いならん」などの木彫類額も百スウでかれの手に落ちた。また「ゴルゴタのほとりにて」と題した自画像を35フランで買ったが、のちにヴォラールに売られた。このほか素描や手記類の遺品がセガランによって持ち帰られた。多くの作品はゴーギャンが死ぬ前にまとめてパリに送ったので、ほとんど残っていなかったといわれる。
 ゴーギャンはしばしば土地の人々に作品をあたえたが、だれもその価値を知るものがいなかった。「微笑」を刊行していたころの印刷工はかれから「紫色の犬と赤い女の絵」を貰ったが、これは豚小屋をつくるために使われ、最後に土中に埋められてしまった。しかし1枚の板がサンフランシスコに送られて3万フランに売れたと聞き、慌てて掘りだしたときは完全に腐っていた。このような悲喜劇がいくつか伝えられている。
 ゴーギャンの最期の日に側近くにいたのは、長く忠実な召使いをつとめたティオカ老人と少年のカ・ユイと、それに牧師のポール・ヴェルニエだけであった。ヴェルニエはゴーギャンの最期をつぎのようにセガランに語っている。
 「ゴーギャンさんはひどく病んで、まったく力が抜けていました。わたしは友人というよりも隣人というわけでした。.....いつもタヒティ風のシャツを着て、腰をパレオで巻き、銀の環飾りのついた緑色のベレをかぶっていました。
 4月の初めにこんな手紙が届けられました。『ヴェルニエ様、ぜひ手当をしていただきたいのですが御光来願えませんか。私の視力はすっかり弱ってしまったのです。病気が悪化し、歩行も困難です。P・G』。訪ねてみますと、湿疹で赤くなった足がひどく苦しそうです。繃帯をしようとすると、自分でするといって抑えました。かれは立派な言葉で芸術の話をはじめました。そしてマラルメから貰ったという "牧神の午後" やその詩人の肖像などを私にくれるのでした。....それから10日以上もたって、老人のティオカが呼びにきました。ゴーギャンはうめきながら寝床によこたわっていましたが、また病気を忘れたように芸術論をしだすのです。どうも偉い信念でした。
 5月8日の早朝、ティオカがまた呼びにきましたが、かれは体の痛みを訴え、今は朝か夕方か、昼か夜かと訊くのです。2度も気を失ったといって、それを心配していました。そのときは "サランボー"について話していましたが、静かに休ませて帰りました。その日の午前11時頃、若い召使いのカ・ユイが『早くきて、白人が死んだ』と駆け込んできました。....ゴーギャンは片足を寝床からはみだしていましたが、まだ温くもりはありました。ティオカは声を出して泣きながら『わしは様子を見にきた。外からコケ!コケ!と呼んでも答えがない。入ってみると....ヒエ!ヒエ!コケはもう動かなかった。マタ!マタ!マタ!』ティオカは死者を蘇らそうとして、美しい歯でゴーギャンの頭を噛んでいました。私は人工呼吸をしましたが駄目でした。ゴーギャンは死んだのでした。心臓麻痺だったのでしょう。ティオカは友だちのコケの顔を最後に見つめて『もう人間がいない』とつぶやいていました。

 荒れ狂った台風が一過した。ゴーギャンは書く。「太陽はふたたび輝き、高いココ椰子は葉をかざし、人も蘇った。大いなる苦悩は去り、歓喜は帰った。海は幼児のように微笑んでいる。」
 昨日の現実は一つの物語となり、やがて人は忘れてしまう。

***

私は ゴーギャンの最期に立ち会ったように そのなかにいるようでした。
「ティオカは死者を蘇らそうとして、美しい歯でゴーギャンの頭を噛んでいました」
その土地の人はそうして死者を蘇らそうとするのかなぁと思いました。ゴーギャンは
孤独のうちに旅だったのかと 思っていましたが 牧師のポール・ヴェルニエや召使いのティオカや若い召使いのカ・ユイがいつも気にかけていてくれたんだなぁと。

たしかに ゴーギャンの人生は波乱にとんでいましたが 後にその作品に出合う私には
やはり 絵のことばっかり考えていて すごい作品を描けて それはすごいと思うのです。この1ページには感動しました。生きていくというのは こんなふうなことなのかと
しみじみと教えてもらうような気がしました。

「昨日の現実は一つの物語となり、やがて人は忘れてしまう」

この物語を私は 忘れるかなあ 覚えていたいなぁ


《 2016.07.03 Sun  _  1ぺーじ 》