父の焼き物は アングルの絵だった? NEKO美術館発
世界美術物語 昭和30年 偕成社 によると アングルの「泉」(タイトルはあってるのかな?)はのってないのですが(この本は服を着たリビア婦人」子供向けの本だからかなぁ) 私がよく見たアングルの絵といえば 壷を肩においてその壷から水が流れているものです。完璧な美しさと云うか。アングルはフランス革命のころの画家で 当時は「色や線や形も、古代風な調和や動きの少ないすっきりしたものでは満足できない人々が出てきた」その中の画家なのです。「そうなの?」と今の私は思いますが。
さて父はそのアングルの絵にいたく感動したに違いありません。わたしもこどものころ アングルのこの絵はいいなぁと文句なしでした。その後いろんな画家たちの作品や「変化」におされるようにして 「ちょっと古いよなぁ」などと生意気な事を思うようになるのですが。
父はもしこのアングルに感動してたとして(そういう話は父子でしなかったのです)それを焼き物にしました。私の知っている父は そこに焼き物をする機会があったので そうなった のような気がします。あのアングルの絵にはこんな小さな天使が足もとにいたかなぁ。いまとなっては この父の作品はだれにもまねできないほど 笑いをさそいます。そこがいいんでっせ。
うしろの絵は私の絵です。ずいぶん前の絵です。絵の近代化を(?)計ってるつもりだと思います。しかし 考えようによっては この絵は明るい人間たちへの「明るすぎるのもこまりもんだよなぁ」というものかもしれない。足もとにいるしっぽのある「まるで縮こまったような おびえているような」ものは「いったいだれ?」そしてさんさんとぐるぐるまわる太陽。
人は主人公を描いた後 小さな存在をおいてしまうものなの? 父と私のこれらの作品には「主人公だけじゃぁ なんかこころもとないなぁ」という気持ちの動きが出てしまってるのかもしれません。しかし天使といじけじゃちょっと方向性が違うのかも知れない。
ここまできて 作品というものは父のものであれ 私のものであれ 年月をへて再び出会うと かってに解釈する事があるのです(笑)。そこに出て来るのはこの私という今なのでしょうか?
ピカソは大きく年を取って自画像を書きました。なんかにおそれているような。ピカソって自画像ほかにありましたっけ?
なんのはなしでしたっけ?
そうそう 私は自分やまわりにいた父やこどもや PLAYING ROOMのものたちと 老人が独り言をいうように 「つぶやいてみたい」きょうのところはそういってみようかな。つぶやき四郎の「町歩き」案内のように。いえね気に入ってるんです あのしゃべり。