日々 1980 NEKO美術館発
家族といると 会話だけで 進行することもある
Mちゃん 「Mちゃん 学校の先生になりたいねん」
Yくん 「ほんなら よお勉強せんとあかんなぁ なっ おかあさん」
わたし(W) 「うん。Mやったらできる。 Yはなにになりたいねん?」
Y 「いいもん」
W 「何やねん」
M 「Yくんやったら ええっと オナラマンや」
W 「そやけど Yのオナラの音 聞くのん大変やで」
M 「お父さんもや」
W 「いや お父さんみたいにブーッと大きなおならは どこにでもあるねん。これでは商売できひんなぁ。ま〜るいオナラじゃないとね。ビンづめにして 売るためにはね。なんのはなしや」
M 「お母さんは何になりたかったん?」
W 「そやなぁ...」
M 「剣道は?」
W 「ドキッ!(思い出にちょっと)」
Y 「そんならいじんげんや」(その頃この言葉はやってた)
M 「お母さん、人ってはじめはサルやったんやなぁ」
Y 「オレ、はよ死にたいわ。お母さんは?」
W 「ええっ!お母さんはいまんとこ死にたいないわ。やりたいことあるし。これでいったん死んでしもたら いつ人間に生まれ変われるかわからんからんからなぁ。Yなんかに追っかけ回されるカエルなんかにうまれかわったら こまるわ」
Y 「お母さん、この虫眼鏡で手相見たるわ。うーん。お母さんの生命はプチンと切れてるなぁ。60位までしか生きられへんわ」
W 「いややなぁ。びじんはくめいやねんから」
Y 「それどういうこと?」
W 「お母さんは びじんやから はよ死ぬねん。手相うそつかない」
Y 「ちぇっ いじんげんやぁ」
***
こどもらが まだ小学生くらいの時かなぁ。そのとき子供は何人?計算するのめんどくさいから やめとこう。
こういう昔の話を 読み返してみるのは いろいろあると思いますが Yは調子のいい時しか話をしません。Mはそれなりにしゃべります。わたしはいつも忙しい気がして いらいらしていますが 子供の話って よく面白い事を云うので そのときはのります。空気はそんな感じです。
この生命線 びじんはくめいの件ですが その後どういうわけか わたしの生命線はのびたのです。 ほんとでっせ。生命線は皺かもしれません(笑)びじんぶりも 中途半端で これではくめいとなると わりがあわんと 思わないでもありません。
ここで氣になるのは Yが「オレ はよ死にたいわ」と言ったことです。
よっぽど未来に期待できなかったのか つまらん日々だったのか。
きゅうりたべながら そのことばを考えてみると 「あいつは今わたしが考えそうな事を
10代でおもてたんか」としんみりします。
子供の大人と年寄りの大人ふっとつながることあるのかなぁ。
きゅうりは 決して固くないですが 歯にあたると ぽろんとつめものが 欠けてしまう事があります。それだけでも なんかむなしくなります。
しんみりとしたところで
さいならさいなら