ミヒャエル・エンデ 「ものがたりの余白」エンデが最後に話したこと 聞き手 田村都志夫 2009 岩波書店
書くということ 1993年7月保養地にて
エンデ文学で興味深いのは、まずそこに出てくるさまざまな名やその音、あるいは響きではないだろうか。エンデ文学では、読者はまず不思議な名や言葉の響きの世界に入るのである。
たとえば「モモ」という名がある。日本人のわたしたちには「モモ」という名は親しみやすいし、違和感を与えないが、原著のドイツ語では一風かわった名だと言わざるをえないだろう。名を与える、名づけるという行為は『はてしない物語』でも大切な、この物語の要素になっているが、「アイゥオーラ」や「グモルク」や「アトレーユ」などの名は、作者のエンデの心のなかにどこからやってくるのだろう。これらの名の音や響きがそのものの本質によく合っているだけに、不思議な気がする。
むろん、これは読者としての好奇心である。画家たちが描く色彩を細かく検討しても、ついにその芸術そのものの謎は解けないように、これらの名を分析して、そこに意味を見出そうとしても、しかたがないことかもしれない。このような名をどこか彼方から聞き取るのが、古来、詩人の役割だったと言うしかないのだろうか。
田村都志夫
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ミヒャエル・エンデ わたしはこの人が作家だけなのか それとも絵も描くのか いまはよく知らないのです。だから少しずつですが読んでみたいと思います。