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ゴーギャン

印象派時代 福島繁太郎著 光文社 昭和18年

ゴーギャン

 ゴーギャンはセザンヌを崇拝していたので、セザンヌの祖述者のごとく思われたが、この理論や彼の作品から判断すれば、彼はセザンヌを祖述敷()したものではなく、全く別個の芸術家であった。一々これを比較するまでもないと思うが、第一にサザンヌは純粋に造型性を追求しているにたいし、ゴーギャンは文学の織り込みを主張するなど全然相反する芸術理念である。印象主義に盲従することなく、これに批判的態度をもって臨んだ自己の芸術を樹立するに至った動機には、セザンヌに負う所があるかもしれないが、セザンヌの芸術それ自体から出発しているものではない事ははっきりしている。ゴーギャンが物体の輪郭を線をもって囲む事などはセザンヌのもっとも排撃したところであった。

***

瀧口修造と福島繁太郎の言っている事を交互にみながら その関係を探ろうとしている私ですが はて 瀧口さんはきのうなんていってましたっけ?

まあ それはそれとして、ゴーギャンはセザンヌを尊敬してたんですか。
ところが福島さんにいわせると 描き方などは全く違うぜと言っていますね。
印象主義に盲従しなかったということにたいしてはその動機で共通かもしれないとはいってますね。でもちょっとゴーギャンとセザンヌがどういうふうに共通のものを持っていたのか 知りたい気もしました。

「あの頃はみんながルオーだった」なんていう見出しがありました。
わかるなぁ。ルオーの絵を見ると 影響されそうだな。
ゴーギャンはセザンヌのどういう所に惹かれたんやろ

さいならさいなら
《 2016.06.06 Mon  _  1ぺーじ 》