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ピカソとその周辺

「ピカソとその周辺」フエルナンド・オリヴィエ著 佐藤義詮訳 昭森社 1964
続きです。

ピカソの牝猿モニーナ

 私はピカソが読書に耽るのを、かって見たことがない。絵画だけが断然彼の関心事となり、それに費やす時間が、ますます多くなった。
 彼はかなりの病気だった、いやそう信じていて、厳格な摂生生活を続けていた。数年来、私が知っていた彼は、大いに酒も飲めば何でもかまわず食べもしたものだったが、養生のために定められた物以外は、もう食卓に出すことを許さなかった。数年間、彼が鉱水か牛乳以外のものを飲み、野菜と魚と牛乳粥とブドウ以外のものを食べたのを、私は見たことがなかった。恐らくその摂生が、彼をあんなに悲しそうに、しばしばあんなに不快げにしたのだ。
 彼はますます動物を可愛がるようになった。忠実で優しく、よく太っていた牝犬のフリカは、彼の心を慰めた。メスの小猿のモニーナは、彼のお気に入りで、彼と一緒に食事をして散々手数をかけるのだが、彼は喜んで世話をやいていた。巻煙草や食べかけの果物を横取りしようと、彼は構わずにそうさせておいた。小猿は彼の胸の辺がすっかり気にいったと見えて、よくそこで寝ていた。彼はこの馴れきった獣を見ているのが好きだった。そして、この小猿に限らず、恐らくすべての動物を一杯にしておきたかったのだろう。
 彼は子供らしい、優しい一面があったが、彼はそれを警戒しているようだった。しかし、恐らく好意からというよりもむしろ、道化師や拳闘家を愛していたように、芸術愛から、面白い見物を見せてくれるので、動物を愛していたのである。
 彼は要するに、何ごとにもあまり深入りせず、またそのために確かに色々な喜びがあることに気がつかないで、それらの側を素通りしてしまうような男だった。

***

やっと牡犬のフリカと牝猿のモニーナが出てきましたね。ピカソの作品をみていても 彼が動物好きだということがわかります。それも 「芸術愛」という言葉を使っていますが猫にしても本能を見せているすがたに興味を持っているのがよくわかります。

ピカソはもともと読書に耽るような人じゃなかったんでしょうか。絵だけが彼の関心事になっていくんですね。それはすごいことだと思いますが そういうところも作品が認められるようになってくると ますますそういうふうになっていくのですね。
「彼はかなりの病気だった」とありますが 食べ物に関しても摂生をするようになります。食べたいものを食べてお酒を飲んで仲間とおおさわぎをしていた彼が 慎重になるんですね。「自分は才能があって選ばれた人間なんだから」と 注意深くなったんでしょうか。
でもそれは彼の心を悲しくさせ不快にしたのかも知れないとオリヴィエは書いています。

その点、動物たちはいたずらをしても無邪気なものだったのでしょう。
「彼は子供らしい、優しい一面があったが、彼はそれを警戒しているようだった」この意味が「恐らく彼は好意からというよりもむしろ、道化師や拳闘家を愛していたように、芸術愛から、面白い見物を(みものを)見せてくれるので、動物を愛していたのである」

なにごとも どこか作品作りとつながっていたということなんでしょうか。きっとそれはそういうふうになっていったんだとわたしは思うんですけど。

「彼は要するに、何ごとにもあまり深入りせず、またそのために確かに色々な喜びがあることに気がつかないで、それらの側を素通りしてしまうような男だった」

オリヴィエにとってはそう思えたんでしょうね。しかしピカソは表現することが一番大事に思い 興味深く思ってたんでしょう。 たえずそのことを考えていたんでしょうね。

芸術家がみんなそうだとは思いませんが そんな風になりがちのような気がしますけど どうでしょう。

このページ オリヴィエのピカソ観察は適格。 そう思わせてくれて 興味深いです。

さいならさいなら



《 2016.06.04 Sat  _  1ぺーじ 》