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1994年5月

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1994年5月   NEKO美術館発

朝 日曜日
義父の部屋からは お経の声
なむあみだぶつなむあみだぶつ

末の息子は「ちきしょう」とうめいている
すぐ上の兄に「4年生で髪の毛が立ってるだの ねてるだの
気にする奴がどこにおるんじゃ」といわれてカンカンになって
腹を立てているらしい

夫はテレビの日曜美術館を コタツの上に足をのせて見ている
わたしの足は もしかして水虫なのかもしれない
ずっとずっとまえに にんにくじょうゆなるものを
つくっていたな
しかしそのびんのふたがあかない
これが 治療薬になると その時思ったのに

娘は車の教習所に行っている
きのうは高校時代の同級生と諏訪の方に行ったらしい
わたしは入り口のチャイムが壊れていることと
いりぐちの鍵はもうかけてなくてはならないのではないか
めをこすりながら迷ってる
きのうの夜中の話

わたしの母は85歳 義父は90歳

これは今日の話
母は 「あんたはよきて!」と叫んでいる
田植えが近い水田に春の雲がうつっている

「せんたくもんがとんでしまうが はよはよ」
母はふとん干と タオル干しの間でじたばたしている
母の背中はまるくなっていて わたしより小さくなっている
ふとん干のむこうで叫んでいる
見えない

「すごい風やわ このふとん干がふあーっともちあがったんよ
わたしゃ こわいけど ふとん干をつかまえてるところじゃ
わたしもとんでいってしまいそうやった」
頭に巻いたすかーふを必死でおさえてもいる

もうひとりの娘は同級生のところへ泊りに行っている
中学三年生 受験生 泊りに行く前に進研ゼミのテキストを
やっていた

二人の娘は家のことを大分やってくれるので 助かる
夫も 最近はごはんをつくってくれることがある

10年前 わたしは 小さい子どもたちの世話で
ふらっふらだった
特にご飯作りがしんどかった

今母は茶碗を洗って、洗濯物を干してくれる
1994年5月の記念撮影をペンでしながら
10年後はいったいどんな記念撮影をこのぺんで
するのだろうと思う。

そうそう息子がもう一人
この信州じゃなく大阪にいる
1カ月1万円の部屋の中は 足の踏み場もない程
そのせまいなかに小さいときから大好きだったテレビとステレオ
それがいやにめだつ
肉体労働をしているらしい
22歳


1994年の5月はこんな景色だったのか
今は2016年 
景色は かわるんだな
心配ごとも きっとかわる
《 2016.06.21 Tue  _  エッセー 》