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ゴーギャン 瀧口修造

コレクション 瀧口修造 みすず書房 1991

ゴーギャン

 1901年8月、最後の夢を抱いて、マルキーズ(マルケサス)諸島のヒヴァ・オア(1名。ラ・ドミニック島)に着いたゴーギャンは、アトゥアナという村におちついた。ここの自然は新鮮な感動をかれにあたえた。海には桃いろのうつくしい砂浜がよこたわっていたし、谷間にわけ入ると、ヒビスカスの森に黄色のうぐいすや、頭の黒い鸚鵡が啼いていた。「ここでは言葉はもはや用をなさず、沈黙をまもるばかりだ。われわれと同じくじっと動かない花を私は凝視めている。そして空間にぶらさががっている大きな鳥の声を聴いていると、偉大な真実を了解する....」と書いている。かれの家は村の便利な中心に建てられたが、樹の繁みに蔽われた別天地であった。かれはそこを「快楽の家」と呼んだ。

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福島繁太郎のゴーギャンの所を読んで ここにくると(この本) ゴーギャンがどんな理屈でもって考えていても このアトゥアナという村に来ると そこは行った者にしかわからない 世界があったんだということ。 ゴーギャンは肌でそれを感じたんだと思いました。

マチスが「オダリスク」とかいう絵を描いていますね。マチスはゴーギャンに影響を受けましたね。「異国に行くということ」 それが影響だったのかも知れない。マチスはモロッコにいったんでしたっけ? そういうパリにはない所に行くと それは異国であり そこには自然から そこにいる鳥でさえちがうのがいる。 わたしでも そういう所に行ったら 何かが変わると思いました。でも行きたくないなぁ。わたしの人生損をしてるんでしょうね。
「ここでは言葉はもはや用をなさず、沈黙をまもるばかりだ。われわれと同じくじっと動かない花を私は凝視めている。そして空間にぶらさががっている大きな鳥の声を聴いていると、偉大な真実を了解する....」

わたしは 本を読んで 感心しているんですが 「そこに行ってみないとわからない事があるんだよ」ですね。 ゴーギャンの絵の魅力は きっとそこなんだ

さいならさいなら
《 2016.05.29 Sun  _  1ぺーじ 》