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ゴーギャン

印象派時代 福島繁太郎 光文社 昭和18年

ゴーギャン

 再び彼はブルターニュのボン・タヴァンに行って制作した。画風は判然としてきた。しかもマルチニック島で把握したものを、一群の青年画家と議論を闘わしつつ理論的に体系づけた。諸謂「総合理論」の骨組みをつくりあげたのである。
 それに従えば「印象主義の主張する眼で見たままの自然を描くことは、視覚で認識する自然に人間が奉仕隷属するものである。人間は叡智によって自然を統御しなければならない。印象派は自然の色彩を階調的に見る。しかしそこには何の目的も思想もない。画家は思想を表現しなければならない。描かるべき事物は思想の象徴でなければならない。そして画面の均衡美を保つためには物体の比例も変えなければならぬし、遠近法も変更しなければならない、また装飾的布置を効果的ならしむためには、物体的有色もまた変えなければならない」というのである。
 文学を絵画に織り込もうとするのであるから印象派には全く反対するものになった。

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ゴーギャンはこのように総合理論を書いていたのでしょうか。なかなか そのときの印象派の作品を描く人たちとは 対立していたのですね。
 「描かるべきものは思想を表現していなければならない」「人間は叡智によって自然を統御しなければならない」「ねばならないこと」が多いですね。

自然をそのまま見えたように描く 人が描くことだから その人が出て来ることもあるんだと思いますが そういうことじゃなさそうですね。しっかりと描く目的を持っていて描くということかな。でもそうかなと思ったりもします。

ゴーギャンの絵は しかし魅力がある。

ヨーロッパを飛び出したゴーギャン。
だまったまま 絵をすすめられなかった画家。
またあとで ゆっくり読み返してみたいです。

つくづく絵画はその時代をはねとばしたり乗り越えることのエネルギーの大きさを思います。パリを飛び出した画家

さいならさいなら
《 2016.05.29 Sun  _  1ぺーじ 》