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ゴーギャン

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コレクション瀧口修造 1991 みすず書房

ゴーギャン

 ゴーギャンはこのような西欧文明の「空隙(くうげき・すきま)と限界」の意識を知らない、原始的な、あるいは東洋的な世界に同化しようとしたのである。「われら何処から来るか?」はゴーギャンの最大の危機に描かれたものだ。「僕は死にたいと思った。そしてこの絶望の状態で、その絵を一気に描きあげた。僕は大いそぎで署名し、砒素を大量にのんだ。たぶん多すぎたのだ。おそろしい苦しみ、だが死はやってこなかった」とシャルル・モリスに宛てて書いている。ゴーギャンはたしかに大洋州の島々で、人間のニルヴァナ(涅槃)を垣間見た。しかし文明の涯にきて、文明の腫物の化膿にくるしめられた。かれはそこでこの三つの謎をかけられたのだ。かれは一度自分を殺した。そして数年間を「文明」とのたたかいのために生きていた。

***

「文明」とのたたかいはゴーギャンにとってはそんなに大変なことだったんですね。
いまでいうカルチャーショックをタヒチで感じたのかなぁ。われわれは こどものころから 仏教だったり それなりの行事があったりします。 キリスト教の人たちとは 死生観がちがうのでしょう。タヒチでは ゴーギャンの今まで知っていたこととは だいぶ違っていたんですね。「文明」とのたたかいというには タヒチの方が優れていると考えたのでしょうか。

この絵はゴーギャンの自画像です。1889
「この作品は、勝手ゴーギャンが暮らしたポンタヴァンの南にある小村の食堂を飾っていた。切り取られたかのような頭の上には、光輪が描かれ、手は悪魔の誘惑を意味する蛇をつかんでいる。原罪の象徴であるリンゴも描かれており、ゴーギャンは自らを、魔性を秘めた存在として表したのだろう。太い線で分割された画面構成は、印象派以降の画家たちに影響を与えた」世界の美術館 平成12年No.12 講談社

この絵は キリスト教ですね。自画像にこういう表現を使ったゴーギャンだったのですね。 ゴーギャンは「自らを魔性を秘めた存在として表したのだろう」と書いてあります。普通の人はそうではないとしているのですか?

ところが1897年の「われわれは何処からきたのか?われわれは何者なのか?われわれは何処へ行くのか?」は違ってきています。知らないわたしは知りたいです。 キリスト教では この三つの疑問はないのですか?

ゴーギャンだから こんなに激しく「文明」とたたかったのでしょうか

さいならさいなら 
《 2016.05.21 Sat  _  1ぺーじ 》