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ゴーギャン

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高校美術2平成8年日本文教出版より

「印象主義時代」 福島繁太郎 光文社 昭和18年

ゴーギャン(続)

 ごーぎゃんの浪漫主義はますます熱を加えて行った。1887年には壮大なる環境は精神の壮大を授けるであろうと考え、アメリカのカリブ海の小島マルチニックに出発した。
 若き日の海員時代の憶い出もあったであろう。だが、生活にうちのめされて今は何の未練もないパリから一刻も早く遁れ去りたい気持ちが最も強かったのである。
 彼は青年画家シャルル・ラヴァルと共に約一年島に過ごした。この熱帯の天地において、彼はその行くべき方向をはっきり認識したのである。この期の作品は未熟なもので、ゴーグが難南仏アルルにおいて天分を発揮したのとは比べることはできないが、この以後ゴーギャンの画境はぐいぐいと伸びていった。画家にはその天分にふさわしい環境が必要である。天分と環境がぴったり合致しなければ十分に駿足は伸ばし得ない。
 さてゴーギャンは所を得た喜びも束の間、不幸にも熱帯病にかかり衰弱しきってロマンチックな夢も破れてしまった。やっとのことでパリに逃げ帰り、株屋仲間の友達でのちにゴーギャンと同じ画家になったシュクファネケルの家で敗残の身を横たえる身の上となった。
 この年(1889年)はじめて個人展覧会を開いた。ブルターニュ及びマルチニックの作品を並べたが、世間に別段の反響はなかった。しかしとにもかくも次にブルターニュに旅する資金だけはこれによって調達し得たのは幸いであった。

***

ゴーギャンといえば タヒチを思い浮かべるのですが これによるとアメリカのカリブ島
の小島マルチニックにも行っているんですね。そこでわたしはわからなくなるのです。タヒチは地図上でどこにあるんでしたっけ?あのころはまだまだフランスの植民地である島とかアメリカの場合もありますよね。こどもの世界地図帳を のこしておけばよかったなぁ。 さて ゴーギャンは そこで熱病にかかって パリに帰って来るんですね。
そこで株仲間だったのちに画家になるシュクファネケルの所で療養させてもらいます。
1889年はじめて個人で個展もしたのですが 余り反響はなかったんですね。
ところがマルチニックに一年いたことで画境はぐいぐいと伸びていくんですね。それはアルルではなかったことで ゴーギャンにとってはこういう場所がよかったんですね。

あ ニュージーランドの近くのポリネシアのなかのタヒチ島です。フランス領 それで 船乗りもしたことのあるゴーギャンは興味をもったんや きっと。マルチニック島だと
病気になってもアメリカ領だから などと想像しているところです。

さいならさいなら


 

《 2016.05.17 Tue  _  1ぺーじ 》