世界美術物語 エトルリアの美術 偕成社 昭和30年
縄文人って 世界の歴史からみたらどこらへんのところにあるのかなって。
そこにね Mr.立岡さんがあらわれて
「日本の歴史をな 中国の歴史なんかと並行して見ていくと これがおもしろいんですよね」そういう立ち話になったんです。
「わたしはね 偶然知り合った歴史のところが イタリアのチビタダバーニョのエトルリア人の遺跡でしょ。ほれ天空の城のような。縄文人は一万年といいますけど どこからはじまった一万年ですか?
エトルリア人は今から(昭和30年から?)2500年以上も昔のはなし。 ええっと 立岡さん計算できます?」
このようにして エトルリア人と縄文人の接点はつかめず。
「そりゃあ 近くといえば 中国ですわね イタリアは遠すぎますわ」
立岡さんは たばこをくゆらしつつ くつのそこで たばこをもみけしたりしてるんですが。
ただ チビタダバーニョのエトルリア人の生活の再現場所はかなり鉄が農耕用の器具として使われていました。
「これは 歴史を知らんな 自分は」 です。
ふむしかしこういうことが書いてあります
「ところで この民族がイタリア半島の 主として北半分に住み着いたのは『紀元前一千年頃』で、そののち『紀元前三百年頃』にローマ人によって制服されるまでの間で いまエトルリア文化とよばれている独特の文化をつくりだした。」
ここからいくと 縄文人の一万年間は『紀元前一万年?」そうすると エトルリア人は鉄器もつかってるし 縄文人より新しい年代ですわね。世界の中の縄文人 てごわいなぁ。
それより 宋 左近さんの言葉に耳をかたむけましょう。宋さんは、縄文人に「きみたち」と呼びかける詩を、たくさんつくっていますよ。
「じゃあ、『きみたちの土器』を。
きみたち 悲しみに/火を封じこめたかった/きみたち 祈りに/
形を与えたかった/それから 死にたかった/だから 土器になった」
ん...わかったことにしよう
さいならさいなら