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ピカソとその周辺

『ピカソとその周辺』フエルナンド・オリヴィエ著 佐藤義詮訳 昭森社 1964

ピカソの牝猿モニーナ

 ピカソは招待されることがますます多くなった。多数の客を迎えたポアレの家や、オルレアン並木道の画室で大晩餐会を催したフランク・アヴィランの家などだった。
 ピカソは嫌々ながら出かけて行った。容易に断れそうな時にも出かけて行くので、その訳が分らなかった。しかし、彼は自分の家にいれば不作法な振舞いをして済ませるのに、よく弱気から招待に応じるような気の弱い男だった。かれが不作法の度を過ごさずにすませたのは周囲の人々のお陰だったが、彼も良心がとがめることもちょいちょいあったのだ。しかし、彼は自分がしたくないことを無理強いした人々をひどく怨んだので、人々は彼を動かすことを避けていた。
 彼も自分の「招待日」を決めた。
 一週間続けて仕事をすることを強制されていない人々にとっては、嫌な日である日曜日を、その日に選んだ。
 彼はこうして、日曜日の午後に、彼自身が作った友情の義務を果たしたようだった。ピカソは友人たちに会うと、いつも大変嬉しそうな顔をして見せた。内心では悪魔に食われるがいいと思っていたような時でも。

***

まだタイトルの牝猿は登場しませんが やがて出てくるでしょう。
画家ピカソはだんだん知られるようになり 交際範囲もいやがおうでもひろがって それは気ののらない場合もあったんですね。ところがオリヴィエはいいます 
「しかし、彼は自分の家にいれば不作法な振舞いをして済ませるのに、よく弱気から招待に応じるような気の弱い男だった」と。「ピカソはいつも嫌々ながら出掛けて行った。容易に断れそうな時にも出かけて行くので、その訳がわからなかった」

これだけで ピカソが気弱な男と見なすのは むずかしいところですが 女のオリヴィエにはそううつったのでしょうね。画家は作品を買ってもらうのもとても大事な仕事のうちなので 絵を描くこととは別に そういうところは別の気を使わなくてはならないのでしょう。もっと有名になっていたら その役割を別の人がやるのかもしれませんが。
オリヴィエといっしょのころはどうだったんでしょうね。
 でも こういうことをオリヴィエがいってのけるところが この本のおもしろいところじゃないですか?

さいならさいなら
《 2016.05.16 Mon  _  1ぺーじ 》