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ゴーギャン

「ゴーギャン」印象派時代 福島繁太郎 昭和18年 光文社

ゴーギャン

 すなわち生活に窮して、蒐集品を処分して当座をしのいだが、その売り上げもいくらにもならず、瞬くうちに食いつぶしてしまった。妻の故郷のコペンハーゲンに行けばどうにかなるかと思って出かけたが、期待に反して妻の実家とも不和となり、ひいて家庭生活にもひびがはいり、妻を残して漂然とパリに戻ってきた。物質的にも精神的にもどん底に落ちてしまっていた。
 パリには株屋時代の友達がたくさんいたが、それに救援を頼む事は彼の気質が許さなかった。
 このころの絵を19枚も、彼は1886年の第八回印象派展覧会に出品したが、まだピサロの影響下のもので、さっぱり芽が出ない。ゴーギャンにとって、いづれの意味においても最も暗黒な時代であった。
 その同じ年の1886年の春頃から、倹約して暮らすためもあったが、ブルターニュのポン・ターヴァンという寒村に行って、秋までずっと画作と瞑想に過ごした。
ゴーギャンの画境は進んできた。彼は自然の光りに奉仕している印象主義に飽き足らなくなり、もっと人間的なものを織り込みたくなった。
 秋、パリに帰ってからゴーグに初めてあった。二人はたがいに芸術を尊敬しあう仲になった。

***

ゴッホにはじめて会ったころ ゴーギャンは暗黒な時代の真っただ中にいたのですね。
これは私は知りませんでした。
どっちかというとゴーギャンはまだまだ余裕があり 
ちょっとした 好奇心でゴッホとの 今でいう ほら「シェア」にはいったのかなと
思っていたのです。
お金も底をつき 家族とも離れ 住む家さえも 寒村で倹約生活だったのですね。ポン・ターヴァンでは瞑想もしてたんですね。近くにそういう事をする人が
いたのかな。
と横道にそれそうになる私ですが。タヒチでのゴーギャンとこの瞑想体験って 関係あるかなぁ。
ゴッホはひたすら 人でも 自然でも見て描いたでしょ だけど ゴーギャンはいっしょに外で描いても ゴーギャンは 印象派の「光りに奉仕する」なんてこととは別のところに関心が行ってるようですね。

さいならさいなら



《 2016.05.02 Mon  _  1ぺーじ 》