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フランク

「音楽と文化」河上徹太郎著 創元社 昭和13年

フランク

 セザール・フランクは独特瞑想の楽人であった。彼ほどおのれが純潔と誠実とを尊重した音楽家はなかった。いってみれば、彼の周囲には音楽家だの楽壇だのの世界はなかった。
ただ音楽そのものと、神と、それと自己とだけしかなかった。音楽とはいはば神と自己とが交感するところの言葉に外ならなかった。だから彼の音楽には()言もなければ、不明確な言葉もなかった。ジャック・リヴィエールのフランク論は、次の言葉で初まっている。
「フランクの偉大さは、かれがいわねばならなかったことしか、いわなかったところにある。」これほどなにげない簡潔な言葉でフランクの独創性を見事いいあてたものはない。世の天才の偉業というものは、いかに孤高で独創的であっても、結局自分を自ら音楽史の系列の中の一員として規定するものを持っているのである。
たとえばベートーベンはハイドンとブラームスをつなぐひとつの環であるし、ショパンはシューマンとドビュッシーを繋ぐ環だる。そういうふうに客観的に見れば、フランクは後期ベートーベンやワグネルなどのドイツ浪漫派と、ダンデイやシャブリエ一派のフランス近代正統楽派と繋ぐところの重要な連結点に位置するものといえよう。しかしフランクにあってはあまりに結果的な見方であり、彼の受け且つ与えた「影響」の世界での事実であって、彼自身の関心並びに彼の作品の独創性は、もっと内的な声にあり、ほとんど彼一人召された神の殿堂の内における音楽でなけらば解き得ぬ秘密の言葉にあった。
今日、彼の死後ほとんど半世紀も経ってみれば、われわれは音楽という便利な利器をもって何とか彼の作品を類推的に解き得る。しかし彼が口にした深奥の言葉は、今日なお限られた使徒たちのみの参興し得る秘教であり、従ってわれわれはまだ日常語としては正統には理解していないと見るべきである。

***

セザール・フランク 私はこの音楽家のことをここではじめて知りました。
ですからフランクのことはやめとこうと思いました。
でも河上徹太郎さんの言葉に興味を持ちました。フランクの曲も聴かずにですが 私にはこういうことはあります。つまり軽いのです(笑)しかし世の中は広いですから この「秘教」分け入ろうとしている人とか 知っている使徒の人たちがいるかもしれません。
いえねだからといって 軽い私ですから この本以上の追求は出来ません。

「内的な声」とはどんな声だろうとか 「彼が口にした深奥の言葉」とは 使徒たちのみわかる言葉。その「秘教」

さいならさいなら

《 2016.04.25 Mon  _  1ぺーじ 》