ブロンテ姉妹 その知られざる実像を求めて 中岡洋
マリア・ブロンテの死 続きです。
幸せな家族に陰りが見えたのはハワースに移ってまもなくのことであった。マリアはアンを産んでまだ三ヶ月ほどしかたっておらず、息つく暇もないまま引っ越しの準備に追われ、ハワースへ引っ越してきた。その上ソーントンから比べればハワースはずっと山のなかで、温暖なペンザンス育ちのマリアが寒冷の地で過ごすのはきびしいことであったにちがいない。うち続く出産と土地柄のせいで、マリアはすっかり体調を崩してしまったのである。
死病を抱え苦しみながら、マリアは「夫以外の人には夜半の看病はしてもらいたがらなかった」。その反面「この母親は子どもたちにあまり会いたがらなかったそうである。おそらくはまもなく子どもたちが母親のないこどもになるのだということを知っていて、子どもたちを見れば心がひどく掻き乱されるからであったのだろう」。(ギャスケル著『シャーロッット・ブロンテの生涯』第三章/拙訳)
マリアの窮状を知り、1821年五月初旬、姉エリザベス・ブランウェルがふたたびヨークシャーにやってきた。しかし姉の看病も空しく、マリアはハワースに引っ越してから約一年半後の9月15日(土)に死んだ。マリアの死因は、ロンドン大学産婦人科教授フイリップ・ロードによれば「矢継ぎ早の出産の直接的結果ではなく、おそらくその結果起こる慢性的体調不良のためであった」。
マリアの死がパトリックをはじめ、こどもたちにどれほど深い悲しみを与えたことであろう。パトリックは気落ちして無気力となり、ブロンテ家はものしずかなひっそりとした家になってしまったのである。
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なんか遠くの国の悲しい出来事を聞いているような気がします。
ながいあいだご無沙汰していた 「ブロンテ姉妹」です。
ブロンテ姉妹のお母さんは死んでしまったのですね。6人のこどもをのこして。
「矢継ぎ早の出産の直接的結果ではなく、おそらくその結果起こる慢性的体調不良のためであった」とありますが そりゃあ小さなこどもが6人もいて なれない土地で 大変だったでしょうね。世話をする人も つまり女中さんはいなかったんですか?昔はいたような気がするのですが。お姉さんの看病のかいもなく亡くなるのですね。