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ピカソ

世界の美術「ピカソ」河出書房 1963 続きです。植村鷹千代

1934年にピカソはバルセルナに行って闘牛場を訪ねた。彼はこれが機縁で空想を加えた闘牛の絵を多数描きはじめた。それが1935年のピカソのもっとも重要な版画<ミノトロマシー>(ミノトールの闘争)となり、さらに1937年の銅版画のセリー<フランコの夢と嘘>、最後に同年作の大壁画<ゲルニカ>になって、歴史的なモニュマンに集大成されることになる。
<フランコの夢と嘘>は、フランコ将軍の独裁に反対する共和スペインの憎悪を詩に書き、エッチングに表現したもので、小型の銅版画であるが極めて迫力の強いものである。シュルレアリスムの技法を強力に活用し、フランコ将軍は毛虫のような形に扱われている。<ゲルニカ>はバスク地方の小さな平和な村ゲルニカが、フランコ将軍に味方したナチスの爆撃機によって無惨に爆破された事実に対し、ピカソが憤激して抗議のために描いた歴史的大作であって、ピカソの名を永久に歴史に刻むモニュマンである。この作品は、エリュアールとピカソの合作でつくった映画<ゲルニカ>としても再現され、映画では画面がドラマチックに動かされ、迫力は一段と強くなっている。ピカソのシュルレアリスムが思想的な主題で表現されたもっとも強力な作品といえよう。画面左側に不気味な圧力をもって描かれている牛が暴力を象徴し、恐怖や苦痛におののき絶叫する人物の表現に、ピカソ一流のデフォルメの追真効果がある。画面もよく見ると、横顔に目玉が二つあったり、口が耳までさけていたりする表現の歪みが、リアリティを強調する絵画上の表現技法としていかに的確であるかを納得できるはずである。
<ゲルニカ>の制作後もピカソは横顔に目の二つある作品や鶏をモティーフにした、強烈なシュルレアリスティックな表現をタブローに描き続けている。<H.P.夫人の肖像>(1937年)、<雄鶏を抱く少女>(1938年)、<雄鶏>(1938年)などはその代表作であろう。1939年の夏をピカソはアンティーブで過ごしたが、そのとき彼は<ゲルニカ>以来の最大の大作である<アンティーブの夜漁>(213.0x345.0cm)を描いた。これは<ゲルニカ>の手法を続けたものであるが、戦争の直前最後の平和の月の制作であるだけに、不吉な暗さが画面にみなぎっている。ピカソの鋭い直覚が捉えた世相だったのであろう。

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<雄鶏を抱く少女>とか<雄鶏>などは世界の美術「ピカソ」にのっています。迫力がありますね。<猫と鳥>も猫の鳥を食いちぎるさまがよく出ています。ピカソは生き物のことをよくとらえてるな と十代の時は感心しました。キュビスムのような表現は 十代のわたしにはデザインに見えました。ところがシュルレアリスムとキュビスムがまざってピカソしてるんですよね。笑ってる場合じゃないですが もう大変ですね。<アンティーブの夜漁>は残念ながらあまり惹かれませんでした。
いろんなものがぶちこんである わたしはときにそう感じたものです。わたしもぶちこんでみたりもしましたが なんだかなぁ 忙しい感じで(笑)
わたしはいろんな物を集めましたが あれがぶちこむことかなぁ なんて今思ったんですが。
しかし ピカソはめったやたらとぶちこんではいない。
<ゲルニカ>は的確なピカソのキュビズムの表現だったんですね。

ちまたでは「ピカソしなきゃ」という時代がありませんでしたか? こうして読んでいくと軽過ぎるわ 根っこのところが。 えっ わたしもその一人だったんですね 

さいならさいなら




《 2016.04.16 Sat  _  1ぺーじ 》