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修行

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あくせさりーは わたしの場合

さいげんなく ひろがっていった
カメラがあったから はっぱでも なんでも
あくせさりーとよんでは 写真に撮った

はなしはかわるけど
高木譲さんは 戦後ぶらぶらあるきを しておらした(ほうげんのつもり)
ところが「修行和尚」一期一会 現住所は空の下 では
出会った和尚さんに 高木さんが
「南方から復員してきたものの、父も母も死んでいたし、病気もして、食にもありつきそこなったので、仕方ないからぶらぶら歩いているのだと、しょうじきに話をしたところが」
和尚さんは「修行にもなるがな」といいます。

いっけん カメラの話と ぶらぶら修行の話は全く関係がないようにみえますが
見えますよね(笑)

「さよう、修行でござる。ぶらぶら歩いとっても、人間になる修行にすれば、わが身を鍛える修行にすれば、よかぶらぶらになるがな」そう和尚さんは高木さんに言ったわけですが
「ぶらぶらもそうおもえば気楽になってきそうだった」高木さんは思いました。
そうすると 高木さんは 気楽にぶらぶらしているわけじゃなかったんですね。しかたなくぶらぶらになっていたといえば 言い訳も立ちそうですが もう少し「修行」となればもっといいですよね。 和尚さんの言われた言葉だし。

人ってけっこう自由とはいえませんよね。
わたしもカメラで遊んでたわけですが 主婦しながらカメラをとか カメラ修行ともそういえばよかったですね。それより「気楽にやってます」と言った方が 軽くていいですよね。
ほらね ちょっと関係あるでしょ

ごみひろいだって 今でも夢に出てくる 最高の遊びでしたが
芸術発掘自転車修行 ながいなぁ

でも高木さんは食うや食わずでぶらぶらをやっていた。時には雇ってくれるところを
見つけて働いたりしながら。これはすごいな.
すごいけど ただぶらぶらだけの人は どうなるのかな。純粋ぶらぶら?
《 2016.04.11 Mon  _  ちまたの芸術論 》