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ルノワール

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「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢の肖像」ルノワール 1880 油彩 64x54
cm 芸術新潮 1993 ルノワール

十代のころ 世界の美術 「ルノワール」で出会ったこの絵は もう少しおさない少女の絵とともに忘れられないものになりました。あのころ ゴッホやルノアールやセザンヌが画集にある限り それが記憶に残りました。そしてそのころ絵を描いていく上で 自分の絵のどこかしこに その画家たちの影響がありました。

そして今66歳です。あんなに熱心だった絵を描くこともへり そのかわりそのころ読むこともなかった こうした画家たちのことを読んでみるのです。
ルノワールは十代のわたしには 「肌」がきれいでここちいいということと こどもの鼻のさきのちいさなひかりもよかった。髪の毛のウエーブもたとえようもなく素敵。でもこういう言葉さえ出てこないくらい どういっていいのかわからなかった。かんたんにほめちゃいけないと思ったのかなぁ。
そして明るい色。

わたしはそういうわけで明るい色とかで描くことをしたのですが いまおもうと 明るい絵はちょっと絵としてはらしくないところがあるのだと 気がつくのです。
でもあのルノワールなどをみながら やっていたのでしょうがないですね。

といっても ルノワールに影響されているのは自画像の1、2枚。わたしはたくさん絵を描いたと思っていますが みんなおどろくほど描いていますね。画集にはぜんぶ載せるわけにはいかないと なんで気がつかなかったんだろう。

クレパスで画用紙に描いていたんですが まず薄く青いろをぬるんです。そのうえに白や肌色で顔にしていく。これがルノワールからのやりかただと思ってね。油絵の具でもそういうふうにしました。

ルノワールのことを たいしたことないよ という人たちはね ヌードになったモデルがあまりかしこそうじゃなく おとこからみた女 みたいなことで ちっとも革新的じゃないということかな。ルノワールがそういう女をかくことが好きだったのだし あれだけ描いたら 文句なしだと思うんだけど。室内にかざっていたい絵であることもたしか。

でも もしそんなあかるい肌を描き続けたとしたら いろいろ革新的な絵が増えつつある中で いろいろ 批判もされるはず 実際 評価は低かったとか。それでもはなうたをうたいながら ずっと 若い女の肌を描き続けて リュウマチで手足が不自由になっても描き続けたなんて 本当に描くのが好きだったんですね。

十代の頃 ルノワールにちょっとかぶれて そんな絵を結構真面目に描いたんです。でもまじめにやると疲れるんです。できあがると充実感があるんですが。その後ピカソにかぶれて しんどいことは 自由ではないなどと ピカソの絵を自分流に解釈して かるく疲れずに描いたので 長いうちに 辛抱強く描く絵は無理になりましたね。

篠原有司男がルノワールをほめていたのには 感動してうれしかったなぁ。最初はこの人もそんなでもないんですが 最後に「絵は画才に尽きる。陽気な昼食シーンであれ、売春婦のたむろするカンカン踊り場であろうと、油絵具を塗りたくって描いたカンヴァスが観る者を虜にしてくれなければ。ゴタクは誰も聞いてくれない。才能のあるやつは、きっと目をつむってもすごい絵を描いちまうだろう。」

そうそう ルノワールの絵には 他の画家のものもそうでしょうが 気に入った人が現れたということ。十代のわたしもそうだったのです。66歳になっても そのことでは動きはないですね。どういうわけか十代の自分のことは信じてるんですよ そして変わったのはセザンヌが案外すごい画家やったんやと見直したことくらいかな 変化は。 どうしてかなぁ。みつごのたましいひゃくまで 違うか(笑)

さいならさいなら


《 2016.04.09 Sat  _  思い出 》