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Oosugaガラス

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Oosugaさんのガラス

わたしが さいしょに パソコンを 教わったのは
ガラス作家のOosaugaさんです。
 コンピュータがどういうものがのかを ねっしんにあきらめずに
教えてくれたんです。でもなかなかおぼえられません Oosugaさんに
もうしわけないくらい。ここでは会計のわくのなかに数字をいれられるように
なりました。でも毎日やらないので 毎年やりかたを忘れて Oosugaさんに
電話しました。そのころは 携帯なんてものは使ってませんでしたから10年
くらいまえかも。「もしもし、すんません、また忘れてしまってるんだけど」
なんてことを。

つぎにむすめにホームページをつくってもらいました。わくのなかに
絵を入れたり 文字を入れたり まいにちパターンは同じなので
それはできるようになりました。わたしは今でもまいにちパソコンを
いじってますが そうじゃないと簡単に忘れるのです。

その娘に教わったホームページのころは 家族で一台のパソコンを
使っていました。携帯電話は使っていませんでした。 
そしてこわれたのです パソコンが。うんともすんともいわなくなったのです。
わたしはパソコンの中で文字を絵を見るのは あんまり好きではありませんでした。
プリントアウトしてそれを見るのが好きです。これは何派ですか?
だから幸いなことに パソコンはぶっこわれましたが すこしNEKO美術館は
のこりました。
家にいる時にホームページを教えてくれた娘は大阪に行き
ました。

で一年前でしたっけ?何年振りでしょう もう一回65歳のホームページ
挑戦です。携帯電話は使うようになっていました。むすめは結婚して
こどももできています。

わたしはもじもじとホームページ再開を迷っていました どうしてかというと
なんだか 面倒なことがいっぱいあるんじゃないかと 想像したり つかれ
るような気がしたり 結局もう一回 忘れかけたことを思い出せるかしらと。
もじもじしても それ以上おすのはどうやらわたし以外見つかりそうにも
ありませんでした。だいぶん いきつもどりつもじもじし ていました。
長いんですわたしは。

むすめがね いったんですー「これぐらいが パソコン覚えられるタイムリミット
やで。これ以上年取るとおぼえられへんのとちゃうか」でした。
「そやなあ」というとさっそくさささと手配してくれて あっというまに遠く
離れた娘のところで数日間の特訓。パソコンを買ってくれたのは息子。
リュックでおんぶできるくらいかるいのでした。

むすめの出産以来の遠出です。
鈍い頭をしぼりだすようにして(どんなんや)どうにかいけそうなところまで
教えてもらいました。

帰ってから あけてもくれても ホームページですわ。「毎日やってはるの え
らいわねー」と感心されますし 夫も「根性あるやっちゃわ。しかしおたくにな
ったらあかんで」といわれます。買い物もあるし ごはんも一応つくらなあかんし
草もはえてきたし ごみもすてなあかんし ほんまはおたくしたいですよ。

そしてなにより とまったら 忘れるのははやそうです。

こうしてみますとね Oosugaさんからはじまって 少しずつできるようになって
「Oosaugaさんみてよ。あの出発がなかったら ここまでやってへんかったのよ 
ありがとうございます!」と。

そうそうOnoderaさんのこともわすれたらあかんわ。
Onodera家でのわたしの絵の個展。ケーキをつくってくださったかたも。
「なんとかしたいなあ」といってくれて。自分のパソコンでわたしの詩集をつくろ
うとしたりね。すっかり忘れてるわ。ありがとうございます。

そんなこんなで Oosugaさんのステンドグラスのランプはいいですよ。
このきれいなガラスを見るたびに 画家のクレーやカンディンスキーの絵のようやと
思うんです。

Onoderaさんのご主人はは素敵な家具をつくったり なによりお家も少しずつ自分で
つくった人。こんなうちに住みたいと だれもが思うとおもいます。
彫刻家のおじいちゃんのところに行った話は書きましたっけ?そのモデルをしたこと
もある人です。

思い出せてよかったなぁ
《 2016.04.04 Mon  _  これくしょん 》