who am ?I

PAGE TOP

  • 03
  • 20

ゴーギャン

スキャン2059.jpeg
印象派時代 福島繁太郎著 光文社 昭和18年

第十章 ゴーギャン
ゴーギャン(1848−1903)

 ゴーギャンはフランス人の新聞記者を父とし、相当の家柄のペルー人を母としてオレルアンに生まれた。幼時一家はペルーに赴いたが、その旅行の途中父を失った。一家はリマに留まること4年、またフランスに帰ったが、家運はしだいに傾いて、17歳の時勉学を中止して海員になった。海員生活6カ年の後、知人の世話でパリの株式店に入った。忽ち(たちまち)業務に通暁して、位置も進み、年収は34万フランにのぼったと云われている。1873年にデンマーク人と結婚したが、このころから絵画に興味をもつようになり、印象派の画家や文士の集まるカフェーに出入りしてその仲間にはいり、また日曜には絵を描いて楽しんでいた。生活に余裕があったので、マネー、モネー、ピサロなどの作品を集めていた。そのうちピサロと特に親しくなり、その助言のもとに制作するようになった。1880年第5回印象派展覧会にはじめて出品したが、そのころの作品はピサロの影響が著しく、別に面白いものではなかった。
 そのうちに絵画に対する情熱がだんだんたかまって、余暇に描いているのでは満足できず、遂に意を決して長年やっていた株式店員をやめ、画家に先進没頭することになった。1883年のことで、ゴーギャンはすでに35歳になっていた。それから死ぬまで苦難の道をたどらなければならなかったのである。

***

いよいよゴーギャンがはじまりました。
フランス人の新聞記者を父とし 相当の家柄のペルー人を母として生まれたんですね。幼時にお父さんをペルーへの旅行の途中に亡くすんですね。結局フランスで暮らすことになるのですが、家運は傾く。17歳の時に学業も中止して海員生活、その後パリの株式店にはいり高額の給料をとれるようになる。デンマーク人と結婚して、このころから絵画に興味をもつようになるんですね。芸術家仲間との語らい 生活の余裕とそういうものがごぎゃんを絵の世界にひっぱっていくのですが とうとう長年やっていた仕事もやめてしまうんですね。35歳のときです。

さいならさいなら

《 2016.03.20 Sun  _  1ぺーじ 》