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シューベルト

『音楽と文化』川上徹太郎著 創元社 昭和13年の続きです。

シューベルト

 この仲間と共にいる時の彼は、単純な愛情の深い若者であった。一寸の間の旅行でもこの仲間と離れることを淋しがり、恋人と離れているような手紙をかいた。仕事を終えた彼はたえずこの仲間とカフェーを飲み歩き、歌い且つ踊った。散歩をすることもこの仲間の楽しみの一つであった。当時彼の音楽が最も多く演奏されたのもこの仲間内のことであった。この仲間の中のショウバンが富裕であった関係から彼の家でシューベルトを中心とする集まりが催された。この時は仲間以外の多くの人々も集って彼の音楽をきいた。詩人のグリルパルツエルもこの会合の中に入っていた。シューベルトは作曲法ですらほとんど自然に会得したくらいで、楽器なども本格的に勉強はしなかったが、ピアノの演奏は相当にうまかったと言われる。彼の歌曲がこの会合で歌われたことはもちろんであるが、彼は好んで仲間の中のガヒーというピアノひきと聯弾(れんだん)をやった。
 こうして彼の青春は費消(つかいつくすこと)されていった。その頃のこの仲間との日常生活は彼にとってなくてはいられぬものであった。伝記に現れているところでは、恋愛すらもこれに比ぶれば影がうすいのである。その相手といえばテレザ・グローブという歌手と、弟子であったエステルハツイ伯爵の娘カロリーネの二人がしばらく伝えられているばかりである。それも極く淡いもので、とても映画「未完成交響曲」の主役になるようなものではなかったらしい。真の芸術と友情とに生きる者にとっては、それが本当なのであろう。
 彼の収入の全部はほとんどこの仲間との遊興に使い果たされた。金がなくなると自分の歌曲を法外の安値で出版社に渡して金をつくった。彼はピアノすらも持っていなかったのである。こういう放浪生活と労作から彼の心身はすでに早くから蝕まれていた。廿五六歳の頃から彼は自分の健康がすりへらされているのを感じた。若い仲間も段々離ればなれになっていった。いい知れぬ憂愁が彼の心にしのびよっていった。

***

親元を離れて 友だちの間を渡り歩く生活は 楽しそうだけれども どんなもんかいなあと思ってたら やっぱり。タコの糸がきれたようにね。 真の芸術と友情 せつないなぁ! あとには作品ばかりが のこりけりか... 
Rosemary Brounによりますと 「シューベルトのことを愛すべき人物だとみなしています」「いつも変わらず謙虚で上機嫌で、とても親切です」といっています。(霊界通信での話ですが)
やがて みんな青春ばかりではいてられません。変化していくのですよね。いくらいい友がいても 離ればなれに散って行く。そんな場面ですね。

このRosemary Brounのほんは音楽家の辞書のように たとえば夫がドビュッシーの曲をきていたら この本をひらいてみて その人のところを読んでみます。本当に信じているの?ですか ほんとうのところはわたしにはわかりませんが そんな壁をとりはらうと想像がひろがるでしょう。

さいならさいなら
 
《 2016.03.02 Wed  _  1ぺーじ 》