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ゴーグ

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『印象派時代』福島繁太郎著 昭和18年 光文社の続きです。上の作品はこの本の中にありました。

ゴーグの芸術の本質

 ゴーグはまた光に熱中したが、光を明暗の調子によって表さず、色彩に置き換えて表現したのは彼の特質の一つである。黒と白との明暗の調子を無視したモネーでもセザンヌでも、色彩のグラダクションも無く、ただ生の色彩のコントラストのみをもって光を表現している。これは非フランス的であると同時にオランダの伝統にも全くないことであって、浮世絵版画との関係が深いものと私には思われる。
 ゴーグは光を黄色でもって表現した。光を熱愛した彼が黄色を至る所に使用したのは当然で、この黄色が彼の色彩の特徴でもあった。
 ゴーグの作品ほど情熱を強く感じさせる絵画はない。特異という点では絵画史上飛び離れた存在であり、近代絵画史上高い地位を持つことは疑いを容れない。しかし乍らゴーグの芸術は力動的な強さはあっても、その昂奮が余りにも生であるため、セザンヌの気高さ、ルノアールの深さは求むべくもない。。大芸術には人間性の完全が必要である。ゴーグのごとき非凡なる天分を持ち、絵画を熱愛し絵画に献身しても、奇矯(ききょう)なる性格で人間性の完全さに欠けるところのある者は、特異な存在にはなり得ても、真に世紀の大画家にはなり得ないものではなかろうか。

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昭和18年に発行されたこの福島さんのゴーグについては 今では受け入れられないところもあるんじゃないでしょうか。
ーーしかしながらゴーグの芸術は力動的な強さはあっても、その昂奮が余りに生であるため、セザンヌの気高さ、ルノアールの深さは求むべくもない。大芸術には人間性の完全が必要である。ゴーグのごとく非凡なる天分を持ち、絵画を熱愛し絵画に献身しても、奇矯なる性格で人間性の完全さに欠けるところのある者は、特異な存在にはなり得ても、真に世紀の大画家にはなり得ないものではなかろうか。ーー

 このようなところを読んでみますと昭和18年という時代が こういうものの考え方だった人もいるのかということとか みえてきます。
大芸術には人間性の完全が必要であるーー人間性について こんなことをいうことは間違っていることを 現代は知っているんですよね。
こうしてみていくと 歴史の中での 作品の見方は 日本の場合どういうふうにして変わっていったんですかね。戦争の世紀に ものの考え方が かわっていったのかもしれませんね。ゴッホは1853年−1890年の人です。絵画を人々はどう見ていたのか。ゴッホの絵は第一次世界大戦の前には どういう風に見られていたのか。第二次世界大戦中にははどう見られていたのか。バウハウス、大正デモクラシーには。

光を明暗の調子によって表さず色彩に置き換えて表現したのは彼の特質の一つである。
ただ生の色彩のコントラストのみをもって光を表現している。これは非フランス的であると同時にオランダの伝統にも全くないことであって、浮世絵版画との関係が深いものと私には思われる。ーー

光を熱愛した彼が黄色を至る所に使用したのは当然で、この黄色が彼の色彩の特徴でもあった。

もう知らないことがいっぱいです。
《 2016.02.24 Wed  _  1ぺーじ 》