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ブロンテ姉妹

『ブロンテ姉妹』その知られざる実像を求めて 中岡洋 2008 NHKカルチャーアワーの続きです。

ソーントンでの幸福
 
 このソーントンでブロンテ一家にはさらなる幸福が訪れた。三女シャーロット・ブロンテ(1816年4月21日生)、長男パトリック・ブランウェル(1818年6月26日生)、四女エミリ・ジェイン(1818年7月30日生)、五女アン(1820年1月17日生)が次々に生まれ、これでブロンテ家は家族が全員揃うことになる。母親マリアの姉エリザベスはこのころペンザンスに戻っていたため、マリアが出産する際、子どもたちの面倒を見てくれる人がいなかった。しかしファース一家は親切にも子どもたちすべてを家に引き取り、一切の世話をしてくれた。こうしたことから、ブロンテ家とファース家が家族同然の親密な交際をしていたということがわかるのである。
 パトリックはこの幸せの絶頂期に、ハーツヘッド赴任の際に行っていた創作活動を続けていた。彼の才能は以前よりさらに高まり、第四詩文集『キラーニーの乙女』(1818)を発表するに至った。このころまでにはパトリックは独特の境地をもつようになっていた。
 そこでパトリックの才能が開花した『キラーニーの乙女』を簡潔に述べてみよう。この物語は、育ちのよいイギリスの青年アルビオンがアイルランド娘のフローラ・ロッホリーンと恋に落ち、敬虔なクリスチャンに回心して彼女と結婚する話である。キラーニーの湖水の美しい眺め、勘違いによる恋敵への嫉妬、フローラの住むロッホリーン・ホールへの盗賊の襲来、アイルランド式通夜などの出来事が政治と宗教を混ぜ合わせながら語られている。また飢餓のため羊を盗んだだけで、残忍な殺人犯と同じように死刑を宣告される非道に反対するパトリックの人道主義的な立場も示されている。この作品はまさにパトリックらしい才能が発揮された傑作で、文学、政治、道徳、宗教への彼の幅広い関心が開陳されている。
 ところがソーントンでのブロンテ家の幸せな時期は瞬く間に過ぎて行った。パトリックがハワースへの転任を命じられたのである。ハワースへの移住はブロンテ家にとって急速な悲劇への転落のはじまりであった。パトリックもマリアもソーントンでの幸せな司祭館生活が一転して、悲しみの日々に変わるとは想像もつかなかったであろう。
 しかしその悲しみの地ハワースこそブロンテ姉妹を育み、のちに彼女たちの作品に重要な影響を与えることになるのである。

***

このパトリックの『キラーニーの乙女』はその周りの景色、湖水、当時の服装、盗賊の襲来、飢餓など アイルランドの時代をよく表わしていたんでしょうね。羊を盗んだだけで死刑になることも。
パトリック家がハワースに転勤になることから この幸せな生活は一転するという。
そうですか これからが私の少しだけ知っている思い出の本が始まるんですかね。長かった。でも、私が読んだ本、「嵐が丘」「ジェーン・エア」そして「風と共に去りぬ」これはブロンテ姉妹じゃないですが長いんです。でもとても面白かった。自分が読んだ本のことを 少ないけど思い出してみようと このブロンテ姉妹のことを読み始めたんですが なんか こんなに詳しくなくてもよかったのになんて思わないでもありません(笑)
そして 思い出せるかしらとも。
 

《 2016.02.22 Mon  _  1ぺーじ 》