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ピカソ

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世界の美術 ピカソ 河出書房 1963の続きです。上の絵はピカソの<鳥のある静物>1920 パステル 世界の美術からです。

ピカソ芸術の出発とその背景 植村鷹千代

 だが、今だからできることであるが、一歩退って冷静に見わたしてみると、20世紀の前半、すなわち1900年の初頭から第1次世界大戦を通過するまでの時期、さらにそれから第2次世界大戦までの時期、それから戦後の今日というふうに世界社会の歩みのあとを回想してみると、すべてのものが、突如とした変貌の仕方をして歴史が進んでいることが回顧される。機械文明の急激な進歩は、ものの形を急速させ、新しい形を生み出し、なにひとつ同じ形のものが永続していない。兵器の形態もまったく変化したし、建築物も、自動車も万年筆も、すべてが形を変えた。つまり「口紅から機関車まで」なにひとつ同じ形のものはない。それだけではない。大戦をすでに二つ通過したこの世紀は、戦争ごとに世界の思想地図も内容も複雑に変化した。ソヴィエト連邦が誕生したかとおもうと一方では帝政が崩壊し、ナチスが台頭し、植民地が独立し、日本が民主国家に変貌し、と言った具合に、すべてが突如として変貌したのである。
 しかも、それらのまったく対立したり相違したりする思想や感情や形態が、複雑多様にもつれ合ったままで同時に存在しているのがこの世紀の特色である。価値の尺度、評価の基準は多様で一定していない。機械文明は合理主義思想を当然進展させ、拡大する。だから現代は合理主義の支配する世界であり、合理主義は抽象芸術を反映させる当然の結果を生んだと理解されている。それも事実である。だがふしぎなことに、現代はけっして合理的な世紀でなく非合理な世紀なのである。合理主義が拡大され、合理主義の支配が強まれば強まるほど、一方で、人間は幻想の世界、合理主義の裂け目から姿を現わす非合理の世界に関心をもたないわけにはゆかない。
 このような矛盾と不協和で混沌とした歴史社会のすさまじい濁流のような流れのなかに生きながら、この歴史の進行を的確に感じとるのに、19世紀の視覚で間に合うはずがない。よほど異色のある精神の構造が必要であろう。よほど精神が敏感であると同時に、流れに対応するためには突如として完全な自己革新のできる徹底した自由と柔軟な精神が必要であろう。アカデミックな精神から完全に解放されていない限りそれは可能ではない。


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現代の流れに対応する芸術家たち

この世界の激しい変化が芸術の流れの中にもあるということなんですね。すべてのものが突如とした変貌のしかたをして歴史が進んでいる。歴史は今だから一歩退って冷静に見渡してみることができるわけなんですね。植村さんの今はすでに2016年の今になっていますが。

人々が自由に表現できるようになった これは確かなんでしょうけれども また歴史の流れが反映されているんですね。 
また今回のピカソの作品 そういうことではずれてるなあ。
<殺戮>1951とか<猫と鳥>1939なんかはあってたかもしれません。<生きる歓び>1946なんか見てると戦争画終わったと言う歓びがこういう絵を生み出したんだなあと。 
ピカソは完全に自己革新のできる徹底した自由と柔軟な精神があった人と書いてあります。 時代の流れに強く反応して泳いでたんや ピカソは。 ピカソは芸術家の本能でもってその時代のヴィジョンをみてたの? 合理主義というのは 本当はどういうことで それはどんどん変化していくピカソの変化に現れてるんですか? よくわからないまま 今日は 

ーだがふしぎなことに、現代は決して合理的な世紀でなく非合理な世紀なのである。合理主義が拡大され、合理主義の支配が強まれば強まるほど、一方で、人間は幻想の世界、合理主義の裂け目から姿を現す非合理の世界に関心をもたないわけにはゆかない。ー

さいならさいなら
《 2016.02.22 Mon  _  1ぺーじ 》