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交野日記

フーフー通信1986の続きです。

交野日記

 壁に辰巳さんが着ていたらしいブレザーと皮のショルダーバッグがかかっている。それを指さしていうのである。
「シルク。シルクでできてるんだよ、あのブレザー」
「シルクって、絹ですか。高いものなんですか?」
「バッグはね、シャネル」
「シャネルゆうたら香水しか知しりませんけど、カバンもあるんですか?」
「ナルちゃんは何も知らんのだな。十七万」
「へえーっ」
「これ、わかる?」
 今度はズボンのベルトのバックルを両手で上向かせ、椅子の上でおなかを突き出すようにして、
「金。金だよ。スゴイよ、二十五万」
「へえーっ」っとぼくはおどろいたような声を出しながらも、この人、けったいな人やなあ、たしかに高級洋装店の社長さんなら、高いバックやバックルを身につけててもおかしくないが、ぼくみたいなものに、いちいち見せつけて、どういう気やろ、どこか抜けてるのか、ゲスいのか、でも、世の中には、いろんな人間がおるから、この人も、ゲスい男で成り上がっただけの人間という、その手の人間なのか。ようわからんなあ。
「ママさん、カレ、絵うまいんよ。一枚描いてもらいなよ。美人に描いてくれるよ」
「いやあ、こんな顔どうなるんやろ。鼻高こうなるやろか」
「なるなる。修正するのもじょうずなんよ。な、紙となんか描くもん、もっておいでよ」
 カウンターから、すぐうしろのソファに席をうつして、辰巳さんとママさんがそんなことをいい合って、結局ぼくは小さなメモ帳とボールペンでここのママさんの顔を描かされた。どう見ても美人でない、鼻ぺちゃのおばさんだ。
「ねえ、まだ電話かかってこない。友達からかかってくるんだけどね」
 辰巳さんは八人の友だちがなかなかやってこないので、カウンターの向こうのママさんにいっている。
 あ、書きわすれたけど、まだカウンターにいる時、ひるま二〇号の油絵をいくらで描いてくれるかと訊かれて、うーんと、ぼくは心の中でちょっと考えた。ふだん肖像画を頼まれた時など一号一万円でひき受けている。だから、この場合、二〇号だから二〇万円となるわけだけど、相手がお金持ちなんだから、号二万ということで四〇万円にしたろかと思ったけど、ちょっと気がひけて、中とって「三〇万」といった。
「三〇万。.....うん、で、いつ渡せばいいの?」
「絵ができてからでいいですけど」
「金、ないんだろ?」
 また変ないい方をする。
「お金、必要なんだろ?」
「必要といえば必要だけど、今日いま食うに困ってるわけでもないし....」
「だから、どうなの今日渡した方がいいんだろ」
「そりゃあ、まあ、先にいただければありがたいですけど」
「どっちなんだよ。いるんだろう。金はあった方がいいんだろ」
「う、まあ、あったに越したことないすけど」
「はっきりしなよ、お金今日持って帰った方がいいんだろ」
 と、まあ、えらぶっているというか、なんというか、どうも調子のあわせにくいいい方をして、
「十五万、手つけとして、今日持って帰りなよ。ね、それがいいんだろ」
 っというのである。

***

この辰巳という男との会話 コントでいくとして だれがいいですかねえ。
しかし夫は何か賞を獲ってから作家になるわ といっていて応募したことがあるんですが その回答が出るまで ものすごい長いこと待たされるらしいんです。その間なんも手につかないし待たされるのは 自分には合わんとかいって 画家に変更したんです。そのときの応募作品は深刻な題材だったと思います。それにくらべると こっちのほうがよっぽどおもしろいんじゃないでしょうかね。しかし 長いんですこの話。最後まで打てるかなあ。


《 2016.02.20 Sat  _  エッセー 》