who am ?I

PAGE TOP

  • 02
  • 06

ピカソとその周辺

スキャン1373.jpeg
『ピカソとその周辺』フェルナンド・オリヴィエ著 佐藤義詮訳の続きです。
上の絵は<殺戮>1951年 油絵 109x201cm / 朝鮮戦争がこの作品を制作させた動機といわれ、ゲルニカ以来再び爆発した戦争への怒りである。メカニズムと人間性の対置を象徴 世界の美術 河出書房

ピカソ裕福となる

 さていよいよピカソは、クリシー街に落ち着いた。
 彼は大きな風通しの良い画室で仕事をしたが、そこへは彼の許可なしには入れず、何一つ触ってはならず、元の画室の巧妙で、変化があり、心を惹かれる乱雑さとは全く違った乱雑さを相変わらず尊重しなければならなかった。
 彼はマホガニーの古い家具を備えつけた食堂で、白いエプロンをかけた女中に仕えられて仕事をした。
 彼は休息用の部屋で、銅製の重い頑丈な横木の入った低い寝台で眠った。
 その部屋のうしろに続く小さい客間には、一脚の長椅子と一台のピアノと、彼の父親が数個の立派な古い家具と一緒に送ってよこした象牙や螺鈿(らでん)や()甲を象()した一個の美しいイタリア製の家具が置いてあった。
 新旧二つのアトリエが余りに違うのに、引っ越し屋たいが驚きの声を発したことも話さなければならない。「ここの人たちは、てっきり富籤(とみくじ)に当たったんだね!」と、彼らの一人がピカソの手伝いをしていたレイナルに行ったものだ。
 この部屋には窓が二つあって、よりかかると、日光を浴びながら美しい木立や庭園が見えた。 
 夜明け頃帰宅すると、よく小鳥がさえずるので、窓辺に行って、しばらく小鳥の鳴き声を聞いてから十一時か正午まで眠ったものだ。
 それにもかかわらず、ピカソはこの家に来てからは、以前ほど幸福ではなかったようだ。女中は直に彼の気性をのみこんで、立腹させぬよう、逆らわぬような良い習慣を身につけた。彼が整理した後ではなければ、画室の掃除をしなかった。彼はたとえ埃がたまっていなくても埃というものが大嫌いだったので、箒は使わなかった。埃が舞い上がって描きたての作品にくっつきでもすると、彼は気違いのようになったものだ。
 午前中は彼を寝かせておいたので、家族もその影響を受けた。女中自身もだらしなくなって、朝寝をするようになった。
 ピカソは自分の趣味から、美しい家具を見つけて来た。あっさりした線の、少し重い、古風な古い樫の家具だった。ルイ十四世風のものが彼の好みのようだった。

***

埃が大嫌いだったピカソ。まあ大事な作品に埃がつくと大変ですからね。
クリシー街の家はみんなを驚かせた。くじが当たったか 絵が高く売れ続けたかのどちらかですよね(笑)
ピカソはもともとこんなふうな 気違いのようにおこる人だったんですか?
作品に値打ちがついて そのせいで ちょっとしたことにも神経質になったのでしょうか。
明け方帰宅するととありますが アトリエは別のところにあったんでしたっけ?女中もオリヴィエもピカソが寝ている間は 気を使わずにすんだのですね。女中自身もだらしなくなって、朝寝をするようになった というところ面白いですね。

()はとっても字数の多い難しい漢字です。「あってすっぽ」から調べていくんですが これはむずかしかった。私はとってもりっぱな白川静さんの辞書を持っているんですよ(平凡社)。でも重た過ぎるということと 調べ方がまだ解らないところがあるんです。その点ちいさな辞書は少ない漢字ですが 手に取りやすいんです。 何の話?
じゃあ ペンか鉛筆で書けばいいじゃないかということなんですよね。それができないんです。できるのかな やってみようかしら でも今日は

さいならさいなら

《 2016.02.06 Sat  _  1ぺーじ 》