『ピカソとその周辺』フエルナンド・オリヴィエ著 佐藤義詮訳の続きです。
クリシー大通りと画室
それから闘争だ!彼らの芸術的成長には必要だった闘争。あんなに輝かしく、情熱に燃えた青春を、どうして惜しまないでいられようか?近代はどんなに豊穣に見えようとも、それはあまりに安易になされた豊穣である。今日青年たちが歩いて行く道には、すでに先人の足跡がついていたのである。もう熱情などは見当たらない、あるいはそれは形が一変したのだ。
探究の絶え間ない欲望の中で、常に焦慮するピカソの精神も、一種の凡庸の中でしか有利に進展することはできなかった。
この間の事情を明らかにし、感動すべき新事実を、私は覚えている。新しい様々な感覚の刺激に興味を覚えて、私たちが喜んで奇怪な幾夜かを過ごした頃のことだったが、私たちは、麻酔剤のハッシュを飲んでから、マックス、アポリネール、ピカソと一緒にブランセの家に集まっていたある夜、彼らはかわるがわる高鳴る胸の感情を吐露したい欲求に襲われた。
ブランセは彼を棄てたばかりの妻を恋しがってさめざめと泣いていたが、そうしているうちに、一種の慰安を感じているのだった。彼はそれ以上の慰めを求めなかった。より現実的になっていたアポリネールは、青楼にでもいるものと思いこんで、その悦びを夢中で怒鳴っていた。マックス・ジャコブはこういう感覚の刺激には、他の連中より馴れていたので、部屋の片隅でいかにも幸福そうにしていた。ピカソときては、神経的な発作に襲われて、写真を発見したとか、自殺することができるとか、もう勉強するものは何もないとか怒鳴っていた。
その夜のことは、ラヴィニャン街の料理店主アゾンの店で、マリー・ローランサン、サルモン、ポール・フォールは気違いのように走り回り、サルモンは、冗談にというよりは興奮して、びっこを引きながら歩いていた。
ピカソときてはもっと大変だった。彼の芸術的成長が止まる日が来るという、天の啓示を受けたように思い込んでいた。彼の目的地に近づくと障壁があって、もうそれ以上は前進できないし、彼が新しかれと望んでいる芸術の、あらゆる秘密を学ぶことも、発見することも、識ることも、少しずつそれに入って行くことも、もうできないというのだった。
しかしながら彼の能力範囲にも限りがあった。この大探究家、この知識欲旺盛なピカソも、ある日、彼に音楽について語った友人の音楽家デオダ・ド・セヴラックに、次のように答えなかったかしら。
「君、僕は音楽のことは何にも知らない。聴き違えしないでついて行けるほど、僕はよく解らないんだ」
しかしこの話は前にしたことがある。
ここには如何なる自尊心も示されていないではないか?
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闘争だ!彼らの芸術的成長には必要だった闘争。あんなに輝かしく、熱情に燃えた青春を、どうして惜しまないでいられようか?
オリヴィエはこの時代は豊穣だったといっていますね。これからはすでに先人の足跡がついていて もう熱情など見当たらないと。ピカソも天の啓示を受けたかのように もう勉強するものは何もないと。1909年ごろピカソはそんなことを思っているんですね。
28歳の時ですか?1908年にキュビズムが始まって それがピカソの発見でこれ以上のものはないと思ったんでしょうか。実際はどうなんですか?
たしかにキュビズムはもののみかたを大きく変えるできごとでしたね。それをもとに なにを表現してもピカソ。戦争もありましたね。「ゲルニカ」
オリヴィエといるときのあの叫びは ピカソの芸術のすべてやったんや きっと。
ピカソは長く生きたし 絵もいっぱい描いた。だけど発見したことは若い時に見つけたキュビズムやったんや。考えてみたらゴッホもセザンヌも実はひとつの核みたいなものがあって それはピカソやからといって たくさんあるわけではなさそう。ここの文章で私はそう受け取ったんだけど。
ピカソときてはもっと大変だった。彼の芸術的成長が止まる日が来るという、天の啓示を受けたように思い込んでいた。彼の目的地に近づくと障害があって、もうそれ以上は前進できないし、彼が新しかれと望んでいる芸術の、あらゆる秘密を学ぶことも、発見することも、識ることも、少しずつそれに入って行くことも、もうできないのだというのだった。
さいならさいなら