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おたより

taddさんからのおたよりの続きです。

お返事ありがとうございます。

私は大学にも行かず、生意気に高木護さんなんか読んでいますが、批評するような自分の言葉を持っていません。ただ、「キレイだ。キレイだ。」と思いながら読んだのです。

私は、高木さんの著作に背中を押されましたが、20代半ばに『一遍上人絵伝』を観、衝撃を受けたのが、長歩きのきっかけです。絵が、一遍上人が、とてつもなく美しく、カッコよく、「ああ、自分もこの人のように歩きたい!」と、思ったのでした。
それから20年、いつもいつも「歩きたい。遠くまで、歩きたい。」と、思いながら過ごしていましたが、一昨年、仕事を辞め、臨時収入があり、すぐ仕事をする気が起きず、「そうだ。歩こう!」と、思ったのです。

歩くこと、それ自体が目的。

距離が長く、もし、たどり着いたら、大好きで、友人がたくさんいる沖縄に渡ろうと思い、鹿児島を目標にしました。

観光は全く考えませんでした。
今思うと、何でも所有(時間も、知らない空間も、『観光』とか、『旅』とか言って)する、現代への疑問、反抗もあったと、思います。
ただ、断じて観光ではなく、広島、長崎、水俣は感じたく、1日長く宿泊し、○○館のような所に行きました。
あと、父方母方の墓参り等、自分に縁のある所にも寄りました。
宿泊は安宿を探し(これが高木さんに怒られるという所以です。高木さんは、ぶらぶらですから)ました。

出会いのこと等、よく聞かれるのですが、当たり前のように、かつ有り難く、たくさんありました。
しかし、道中は辛いことの方が、常でした。土地勘のない山道や峠道等を、夕刻、1人で
歩く心細さは歩いた者でなくとも、わかると思います。
熱中症で倒れたこと、独ぼっちの時の大雷雨時は、どぶねずみのようになりながら、道行く車に助けを求めましたが、誰も止まってくれず(あたりまえですよね)泣きました。「死にたくない!」と。
あと、放し飼いのシェパードに襲われ、救急搬送されたこと等、アクシデントはたくさんありました。
その都度、1人で対処しなければなりませんでした。

そんな長歩きでした。
旅ではありません。

調子にのってたくさん書いてしまいました。
ごめんなさい。

***

taddさん おたよりありがとうございました。
私はtaddさんの文を打ちました。このような長歩きをされたtaddさんのそのときの様子を想像しながら書き写しました。一遍上人のことをどういうお坊さんなのかなと思いました。 もしたどり着いたら、大好きで、友人がたくさんいる沖縄に渡ろうと思い、鹿児島をめざしました。沖縄の人たちに好きな人がいっぱいいるんだと思いました。
「広島、長崎、水俣は感じたく」も気をつけて読みました。
いい出会いもあったけれども辛いことの方が多かった というところも読みました。1人で歩く心細さ 想像しました。熱中症で倒れたこと 大雷雨時 どぶねずみのようになりながら、道行く車に助けを求めたけれども、誰も止まってくれなかったことを 当たり前ですよねと書いてあること。そうなんだと。「死にたくない!」ということ。放し飼いのシェパードにおそわれて病院に搬送されたこと。その都度、1人で対処しなければならなかったこと。
きょうは 心臓がドキドキしてしまって ここまでです。


《 2016.01.26 Tue  _  おたより 》