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シテ・ファルギエールのこと

『パリの移り変わり』佐藤敬 太陽パリ特集 1966の中の1ページです。

シテ・ファルギエールのこと

 いよいよこの画室村(シテ・ファルギエール)が消えてなくなることになった。10年以上ここで制作し生きてきた私は、このシテ・ファルギエールのことをいつか書いておきたいと思っていた。たしかにパリの美術史の一隅に生きるしか仕方のない運命で、どこの都会にもある、古いものが消え新しいものが建設される時勢の必要のせいだといえばそれまでであるが、この画室村にしみ込んでいる世界中からきた画家や彫刻家の執念は、何かいまだにめらめら燃えているようだ。その中にはモヂリアニやスーチンや、若き日のフジタの名をあげることができる。戦前ここに住んだ多くの日本人芸術家もいろいろな思い出を持っているはずである。
 シテ・ファルギエールというのは、モンパルナッス駅に近いパスツール大通りの裏にパスツール研究所とサン・ジャン・パチスト・ド・ラ・サールという小さな教会とにはさまれた一隅で、ちょっとパリの市内だとは思えないくらい大きな木々にかこまれた別天地で
20軒くらいの画室がコの字形に、長年の風雨にさらされている。懐かしき古きパリの面影をのこしている所である。
 シテ・ファルギエールの崩壊をかたるには、どうしても新しいモンパルナッス駅のことにふれないわけにはいかない。保守的で新しいものがきらいなパリ市が、珍しく雄大な都市計画で、40階の大ビルを中心に20階の両翼をもった新駅を建設し、この周辺一帯を新しいモダーン地区にしようというのである。現在この翼になる膨大な建築が完成し、目下旧駅をこわしている最中である。このウルバニズムは、自動車道路と鉄道を結びつけ、市が直面している住宅事情、交通事情の困難を緩和しようとするものである。こうした方針に従って、この一帯の地価は上がり、民間のこのプランにそう建築を政府が奨励するのは当然である。私たちが3年にわたって、シテ・ファルギエールとりこわし反対、立ち退き反対の訴訟を続け、その闘いに敗れたのも、敵が都市計画と言う大義名分を持っていたからである。
 ジャック・リプシッツの書いた『モヂリアニ』によると、彼がこのシテに辿り着いたのが1911年ころであったという。もともと貧乏だった彼は彫刻の材料にことかき、ブールヴァール・パスツールの道路普請に用いる石材を夜半ひそかに持ち出しに行って、毎日毎日コツコツとこの石をけずっていたという。私の住んでいた画室に誰が彫ったか1914年という文字がかすかに見える。そのころマックス・ジャコブやフェルナン・レジェやサルモンたちが、この芸術家の天国で若いスーチンやモヂリアニと、夜を徹して芸術や恋愛について談りあかしている風景を思い、なつかしきよき時代への感慨を持つのは私だけではあるまい。
 私がここに仕事場を定めたのは1955年7月15日であった。7月14日のパリ祭の翌日だったのでよく覚えている。さがしあぐねていた画室がやっと手に入ったので、私は夢中できたない画室を整理し、未来の希望に燃えていた。そのころの一画の差配をしていたのが、マダム・ヴァンサンという、メノッティのオペラ「霊媒(ミヂアム)」に出てくる老婆のような、形相のすさまじいいじわるそうな中老の女であった。彼女はその容貌に反して、芸術家が好きであった。
「さあね、私がここの差配になる前にね、地下の物置にね、40枚もスーチンの描いたデッサンや水彩があったんだね。それを前の差配が引っ越しのとき、全部ストーブにほおりこんでさ、絵のわからないやつだよ、バカにもほどがあるね」
 といいながら私の作品をじろりとながめて「まあ、しっかり勉強おし、百人に一人も才能のある絵描きはいないからね」
 といった。
 そのマダム・ヴァンサンも今ではどこかの精神病院にいると聞いている。(画家・在パリ)

***

1966年ぐらいにこの佐藤敬さんの「シテ・ファルギエール」は書かれているんですよね。パリ市は保守的で新しいものがきらいらしいんですね。まず「そうか」と思いました。で、都市計画でその建物を取り壊すかとになったんですね。反対運動を佐藤さんはやったけれどもかなわなかった。
何年経ってものこっている懐かしい場所があるって これ人にどんないいことを与えるんだろうと 考えているところです。子供の時に見た場所が 大人になってもある それはそこに育っていなくても なつかしいと思ったりします。
わたしはこの「太陽」という本が1966年のものであり ちょうど「ピカソとその周辺」をここで(私のホームページ)書き写していますので モヂリアニやスーチン。マックスジャコブやフェルナン・レジェやサルモンなどの名前が出てくると たしかフエルナンド・オリヴィエのこの本の中で出合った名前だよなあ、いや『印象派時代』福島繁太郎著のなかだったかなあー
とちょっとページを振り返ってみたくなったりするのです。こういうことってわるくないなあと。パリなんぞ 私は行ったこともない 遠い場所です。でも、本を読んでいると一度出合った場所や名前はそこが懐かしい所にもなるのでしょう。どうしてピカソが出て来なかったのかな、とかね

さいならさいなら 
《 2016.01.25 Mon  _   》