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ジァコメッティ

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コレクション 瀧口修造 1991 みすず書房の続きです。
上の写真は人物の20世紀 講談社

アルベルト・ジァコメッティ

 ジァコメッティがシュルレアリストに接近した1930年ごろ、このグループには、オブジェの認識を開拓しようという強い動きがあった。サルヴァドール・ダリの「象徴的機能を持ったオブジェ」の提案もその現れであるが、それにはジァコメッティの「軌跡の時間」(1930)と題した一種のモビール彫刻がおおきな刺戟(しげき)になっているといわれた。この彫刻は、糸で吊りさげた球体とその下に置かれたオレンジを四つ切りにしたような形態(それは一見バナナ型といったほうがいいかも知れない)とからなるもので、球体を振り子のように動かすと、その球体の下部に刻まれてある溝と、下のいわばバナナ型の物体の稜角とが噛み合って奇異な反復運動を起こすことになる。その繰り返される苛立たしい感じは性的なものに通じているとされている。このオブジェこそ半ば伝説的なものとなり、いろいろに語り伝えられているけれど、ほとんどの人はそれが実際に動いているところを見ていないのではなかろうか。私もその一人である。

***

「いろいろに語り伝えられているけれども ほとんどの人は見ていない」
もちろん私も見ていないわけなんですが この「軌跡の時間」という作品です。
シュルレアリストと1903年ごろ ジァコメッティは接近したとあります。サルヴァドール・ダリとかですね。「象徴的機能を持ったオブジェ」ダリの作品を思い出してみます。夢は何かを象徴しているのか?時計はゴムかなんかのようにやわらかそう そして木の枝にかかってる。このダリに影響を与えたのがジァコメッティで伝統的な彫刻の理念や技術から飛び離れた、オブジェ彫刻。ところであのいつかは無くなってしまいそうな細い人体はいったい何を象徴しているの? 急いじゃ駄目ですね。まだ著者の話は続くのですから。

ー「午後の宮殿」や「テーブル」ジァコメッティはこの時期の作品を全く否定し、「自慰」にすぎなかったといったことがあるが。そうか いったん世に出た芸術家は 「これ
たいしたことないんよ」なんてこと言いにくいよね。その作品の時に彼に影響を受けた芸術家がいたりしてね。

あ、ちょっと思い出した。このことはもう少し後で出てくると思うんだけど
「人が同じようにその肉体が見えているわけではない。触ってみた感じ 視力が衰えてる人はどう見えるのか そんなことをつきつめていくと....」そんで どうなるんでしたっけ?
わー勝手に話 進めたらあかんやん。
 ジァコメッティがここにいたら このおばはんにどういう話をしてくれるのかな

上の写真で興味深いことが書いてあります。
「一見完成したように見える作品に執拗に手を入れ続けた。そして意志とかかわりなく作品がどんどん小さくなるのに自分でも恐怖を覚えたという。」
いやあ これは最初から意識的に現実と遊離した作品を創ろうとするグループとはいっしょにはできませんね。こういうことを知ると その芸術家にとても興味がわいてきますね

さいならさいなら  


《 2016.01.14 Thu  _  1ぺーじ 》