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ゴーグ アルル時代

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ゴーグ アルル時代(1888年2月ー1889年5月)
上の絵は「医師ガッシェの像」1890

 彼はこの1年余りの短期間に多種多様なことを試みている。「アルルの跳ね橋」「サント・マリ・ド・ラ・メールの小舟」のごとく明快で活気に満ち、しかも優雅を失わない作品もある。柔らかい細い線で輪郭が描かれ、筆さばきも穏やかで潤いがあり、少しも荒々しい狂暴な所がない。
 また「アルルの舞踏会」のごとく平塗を用いてゴーギャンの影響を思わせるものもある。
 ゴーギャンは1888年の秋ゴーグの招きに応じ、この地にきて同じ家に起居して制作することになった。ゴーギャンの到達した時のゴーグの喜びは例えるものもない位だった。ところが両人の性格、趣味はあまりにかけ離れていた。やがて口論は絶える間がなくなった。或る夜ゴーグは刃物を持ってゴーギャンを追廻し、ゴーギャンはすばやく逃げて事をなきを得たが、ゴーグは我と我が耳を切り落とした事件をひきおこした。
 ゴーグは恋愛でも友情でも高潮に達すると、一転して悲劇に終わる呪われたる運命を持っていた。ゴーギャンのゴーグに及ぼした影響は一時的であったと軽く扱うのが通説である。なるほど影響が一見それと気づかれるもの、例えば前述のアルルの舞踏会のごときのものの数は少ない。しかしながら、オランダ時代やパリ時代には少なかった装飾性が、アルル時代に至って急激に加わってきた事は、ゴーギャンの感化と見るべきではあるまいか。その関係は郵便配達夫や、ラ・ベルスウズ、自画像などの連作を検討すれば明瞭である。その中には特にバックなどが装飾風に取扱われて容易にゴーギャンの影響を発見し得るものもあるし、影響がかなり消化されてちょっと気づかぬものもあるが、この時代の作品を多く集めて総合的に考察すると、関係がはっきりしてくる。もちろんゴーギャンは装飾性を第一とし、これに夢のような詩を織り込んだものであり、ゴーグは自然から受ける己の感情を表現することを主眼とし表現の手段として装飾性を加えたものであるから本質的には異なるものであるが、ただこの装飾性については、ある程度の関係を認めるのが正しいと思う。
 ゴーグの装飾性はいらだつ神経をある程度に沈静せしめ、絵に落ち着きを与えている。彼の傑作と称せられるものには装飾性の強いものが多い。前述の自画像、郵便配達夫などもそうであるが有名なひまわりのごときはとくに装飾的である。
 ここに掲ぐるものはその一であるが、三個の大きな鮮かな黄色な花がトルコ玉色のバックの上に描かれ、壷は強烈な緑色、壷はルージュ・アングレーにジョーヌ・ナープル、オリーブなどでアクセントがつけられている。まことに目も覚めるような色彩である。ゴーグは鮮かな黄色が好きであった。彼の絵にはこの鮮かな黄色がしばしば重要な役割をしている。鮮かな黄色は太陽の象徴であり、太陽に熱狂した彼が黄色を好んだのは当然である。また花の中でも太陽の象徴として特に向日葵を熱愛した。彼ほど太陽を熱愛し、太陽を絵画に描いた画家はない。ここにその一例を掲げることにする。この絵で興味ある事は彼が浮世絵版画から栄養を吸収せんと試みている事が、樹幹や樹枝の把握に明らかに看取されることである。
「オリーブの林」(デッサン)は線状の筆触が躍動し、彼の感情の興奮を如実に現している。後のサン・レミー療養時代以後はこの傾向の継続と見るべきである。
 その他、「星夜」、「カフェ・夜」「夜のカフェ」(モスコウ近代美術館蔵)の如く、星の光やランプの光を並行する黄色の線を以て表し、その線を光の中心より遠ざかるに従い平行線の間隔を遠ざけて光の弱くなってゆくのを表現する独特な技法を用いて成功した。これはデッサンにおいて太陽を描き、太陽の面に直線を以てそのまばゆさを表現して効果をあげたのと同工異曲である。

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「ゴーグは星の光やランプの光を並行する黄色の線を以て表し、その線を光の中心より遠ざかるに従い平行線の間隔を遠ざけて光の弱くなってゆくのを表現する独特な技法を用いて成功した。これはデッサンにおいて太陽を描き、太陽の面に直線を以てそのまばゆさを表現して効果をあげたのと同工異曲である。」
「星月夜(糸杉と村)」1889 を見てみました。 こういうことか・・・ですね。だいたい私は内容を読む前に適当にゴッホの絵をアップしますから 医師のガッシェの像ではこの「並行する黄色の線」はどういうところかわかりませんね。でも「星月夜」をみるとわかりますよ。
しかし、ゴッホという人は自然をいっぱい描いて 健康を絵に描いたような人だと 思ったりします。大きな空、雲、麦畑、太陽、ひまわり。なぜか病気の彼が どこでこんなに自然とクロスしていたのかと 今考えているところです。もちろん人物も多い。素朴な 人情のありそうな人々。そんなことを考えながらゴッホの画集を見て行きますと 自分が薄汚く思えたりします(笑)。
「ローヌ川の星月夜」もいいですねえ。「夜のカフェ」のランプの光はやっぱりまんなかからすこしずつひかりが弱くなっていってます。「夜のカフェテラス」の黄色もいいですねえ。「充実してるなあゴッホは」と思います。これを「すごいやん!」という人がいないと 悲しいやろなあ。
ルソーはピカソがほめてくれましたね。ああいう手応えのありそうな人。モジリアーニもゴッホの事をほめてくれたらしいけど。まいいか。あっちから望遠鏡で今の盛況ぶりをたっぷり見ていそうですからね。
ゴーギャンの影響は バックの装飾性にあるそうですね。そうか 影響を与えてたんやゴーギャンは。しかし画家同士の同居はむずかしいやろな。ゴッホもゴーギャンもそこんとこがあまかったなあ。私もちょっとえらそうですね。シェアハウスですよね 今なら。

さいならさいなら
《 2016.01.07 Thu  _  1ぺーじ 》