who am ?I

PAGE TOP

  • 01
  • 03

正象先生

『現住所は空の下』高木護著 未来社 1989の続きです。

一期一会 正象先生

 校舎二階建てだったが、わたしたちの教室は一階にあった。教室の横は道になっていた。人家が二、三軒建っていたが、人通りはほとんどなく、道に沿って段々畑がつづき、遠くに山も見えた。ときおり、鳥の鳴き声も聞こえてきた。
「人間にとって、大事なことといえば、それからね、感謝の心を持たんと、いかんな。空気にも 水にも、食い物にも、父さん母さんにも、きょうだいたちにも、友達にも、近所の人たちにも、住んでいる村や町にも、木や草にも、鳥や魚や虫にも、けものたちにも、風にも雨にも、この大地の全部にありがとうございます。お世話になりますたいという、感謝の心を持たんと、いかんな」
 正象先生のにこにこが、生徒のわたしたちにも移って、にこにことしたたのしい気持ちになってきた。
「それからね、みんな仲ようして行かんと、いかんな。仲ようするということはね、思いやりの心だよ。みんなに思いやりの心があったら、仲ようもできるし、助け合っても行けるよ」
 先生は黒板に書いた「人間」という字を、「人間、人間だ」と読みながら、黒板拭きで消し、「一人分」という字も、「一人分、一人分だ」と読みながら、消された。黒板の消された「人間」「一人分」という字が、わたしの頭の中で、「人間」「一人分」という字になって残った。
「それからね、忘れてはならないことはな、先生にしろ、きみたちにしろ、みんな生きものだということだよ。人間という種類の生きものなんだな。生きものはね、どんな生きものでもな、自然のおかげで生きておれるのだから、自然を大事にせんと、いかんな」
 正象先生の話はむずかしいことなのかもしれなかったが、わたしみたいな勉強ぎらいの
、成績の悪いぼんくらにも、わかるような気がした。「人間として」とか、「一人なら、一人分でいい」とか、「感謝の心」とか、「思いやり」とか、「仲ようして」とか、「助け合って」とか、「人間も、人間という種類の生きものだ」とか、「自然のおかげで生きておられるのだ」とかいうことが、ぼんくらなら、ぼんくらなりに心に焼きついた。ではそれはどんなことかといわれたら、こたえられなかったが、わたしも人間であり、一人の人間なら、人間として、なんでも一人分でいいのだなと思えてきた。そうして、どんなものにでも、どんなことにでも、ありがとうございます、お世話になりますと感謝して、思いやって、仲ようして、助け合って行けばいいのだなとも思えてきた。
「いいかい、先生がいったことをね、きみたちがおとなになってから、一つでもいいけん、思い出してくれたら、うれしかね」
 先生はにこにこされた。
「それからね、みんなえらくならんでもいいけん、一人の人間らしい人間になってくれ。みんなえらくなったら、世の中はえらい人たちばかりになってしもうて、えらいことになるばい。えらくない人たちがいてくれるからこそ、世の中は成立しているのだよ」
とも正象先生はいわれた。

***

正象先生の言葉に感動しましたが 高木さんの中にこの先生の言葉がなにか響いたということにも 感動しましたがな。にこにこと 生徒に話をする先生だったんでしょうね。
社会に出ると 理に合わないこと 難しい人間関係 いろんなことが待っているわけですがこういうことを言ってくれる先生は いわばとても美しいことをいってくれたわけです。
こうして読ませてもらっていて やっぱりこういう先生や 大人がいるということは やっぱり大切なことなんやと 思いました。
こんな先生は社会にもまれてないから 外に放り出されたら つぶしがきかんかもしれません。
でも先生は こういうことを いろんな子供に向かって にこにこ言うのがきっとたいせつな仕事なんでしょう。初めてのように そう思ったんです。
テレビを見ていても 歩いていても なんかわからへんけど にんげんとして美しいなあと感じる人を見かけることがあります。そういう人を見ると 言葉にはあらわせないけど値打ちあるんですきっと。

さいならさいなら 
《 2016.01.03 Sun  _  1ぺーじ 》