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コレクション 瀧口修造

『コレクション 瀧口修造 』
ヨーロッパ紀行1958 
見えない出会い アルベルト・ジャコメッティ


 1958年、ブリュッセルの万国博で催されていた「近代芸術の50年」展、その会場で、私が思いがけず静かな衝撃に似た感動をうけたのは、ジャコメッティの「見えない物体」と題されたブロンズであった。1934年から35年にかけての作品で、それはマーグ画廊の所有とあった。この硬直した女性の立像(正確にいえばほんの軽く浮かすように腰をかけているのだが)は、どこかエジプトの彫像のあるものがもっている、半ば脅かすような謎の美しさと、もっと野蛮なまじないの魔像らしさとを兼ね秘めているように思われた。
 下肢の前に貼りついたような板。いちじるしく下部にある乳房と、それと同じ高さで、ふしぎな振りで開いている両手....この手はおそらく「見えない物体」をまさぐりつづけているのであろう。その頭部はある種の果実の種子を思わせるような形をしているが、中央を走る稜線がそのまま鼻になり、それを切り込んだところが口になっている。その両側にひらいた車輪のような眼は、どこにむかってひらいてるかわからず、ちょうど昆虫の(カマキリでもいい)眼をわれわれが覗き見るときの感じに似ている、ともいえよう。
 そのとき私の記憶のなかには、かって読んだことのあるアンドレ・ブルトンの "L'AMOUR  FOU " に書かれていたこの彫像をめぐる記述がおぼろげながら蘇っていたのであるが、「人間的な真のオブジェをもとめて、しかもその悲痛な無知のなかで、愛し、愛されたいという欲望の発露.....」と書いたブルトンの、状況とともに曲折する想像的推理のあとをそらで思い起こすことはとうていできるはずもなかった。今だってできない相談である。
 あの本には、1934年の春、ブルトンとジャコメッティとが蚤の市に出かけて、それぞれオブジェを見つける話が書かれている。兜(かぶと)の一部と想像される異様な鉄のマスクをジャコメッティが非常に迷った揚句、手に入れるし、柄の台が小さな女の靴になっている木製のさじをブルトンが買うのであるが、前者は当時のジャコメッティの制作の重要な契機となり、後者はブルトンがながいあいだ夢みていた「シンデレラの灰皿」と題されるはずだったオブジェの身代わりとして現れる。(ブルトンは「シンデレラの部屋履き」というものを、ガラスの鋳物でつくり、それが同時に灰皿になるようなオブジェを考えてほしいとジャコメッティに頼んでいたが、かれは忘れて果たしていなかった。)

***

「この硬直した立像(正確にいえばほんの軽く浮かすように腰をかけているのだが)は、どこかエジプトの彫像のあるものがもっている、半ば脅かすような謎の美しさと、もっと野蛮なまじないの魔像らしさとを兼ね秘めているように思われた。」

さて、アルベルト・ジャコメッティのこの彫像はどんなものなんだろう。

「下肢の前に貼りついたような板。いちじるしく下部にある乳房と、それと同じ高さで、ふしぎな振りでひらいている両手....この手はおそらく「見えない物体」をまさぐりつづけているのだろう。その頭部はある種の果実の種子を思わせるような形をしているが、中央を走る稜線がそのまま鼻になり、それを切り込んだところが口になっている。その両側にひらいた車輪のような眼は、どこに向かってひらいているかわからず、ちょうど昆虫の(カマキリでもいい)眼をわれわれが覗き見るときの感じに似ている、ともいえよう。」

私は ジャコメッティのこの作品を見る前に 瀧口修造のこの表現に まいってしまった。私はいつか この作品に出合うのだろうか。出合わなくてもいいような気がする。
瀧口修造の目をとおして 「見えない物体」をまさぐりつづけていよう 立ち止まったままでいよう。
私には作品に対する想像力と語彙が無いに近い。そうも思った。人の作品をこんなに表現できる才能 
今はそっとこれらの言葉を白い紙に包んで いつか「そうだったのか」と開いてみたい。
小鳥の声がきこえる。その話声は私には訳せないけど 明るい陽ざしを浴びて 迷いなく喜んでるというのはわかる。早朝がとても寒かったぶんだけに。関係の無いところで 知らないふりをしていよう

さいならさいなら
《 2016.01.08 Fri  _  1ぺーじ 》