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ゴーグ

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『印象派時代』福島繁太郎著 昭和18年 光文社の続きです。

ゴーグ
オーベール時代(1890年5月ー1890年7月)

 孤独な精神病院の生活に耐えられなくなって、弟テオドールのすすめに従い、印象派の友人である医師ガッシェの住んでいるオーベール・シュル・オアーズに赴く(おもむく)ことになった。1890年5月である。そしてガッシェが看護、監督にあたることになったのであるが、忽ち(たちまち)医師とゴーグとは親しい友情で結ばれた。
 オーベールの柔らかい初夏の景色はゴーグを喜ばした。毎日炎天に帽子もかぶらず戸外制作をした。この期の最も特色ある作品は黄いばんだ麦畑に鳥の群れている絵であろう。この絵を私がパリで見たのは、もはや10何年前のことであるがいまだに友人とときどき語り合うほど忘れ難いものである。
 海景よりも更に横長の20号位の画布にただ麦畑と空が描かれているのみである。麦畑のほぼまん中に一條の小径がうねって分け入っている。画面はすべて大小の筆触の荒々しい交錯より(いくつかのものがいりまじること)なっている。麦畑はクロオム・エルローと思われる鮮やかな黄色と褐色との躍動的タッチの大胆な交響(互いに響き合うこと)、小径はルージュ・アングレーの直線のタッチからなり小径の両側には緑草が生えている。
空はきわめて濃いウルトラメールの直線のタッチの集まりで、ブルー・ヴェールのうねったタッチで雲が描かれ、嵐でも来そうな気配である。麦畑の上に群れている鳥は南画のそれのごとく、ただ黒一色の折線(せっせん おれせん)で表されている。頂点に達した彼の情熱は何人にも忘れ難い感銘を与えずにはおかないが、一方この炎のごとき画面は彼の精神が甚だしく均衡を失っていることをあらわしている。彼の精神病の進行はいかんともしがたかった。1890年7月29日の午後、下宿をふらりと出て行ったが数時間の後に
体にピストルの弾丸を打ち込んで平然と帰ってきた。ガッシェその他の医師もかけつけたが手の下しようもなく翌日遂に永眠した。
 サン・レミイを出発したのが5月17日で、パリに3日間ほど滞在したからオーベール時代は60日あまりということになる。この短い期間に製作した油絵は70枚ばかり、実におどろくべき多数にのぼっている。

***

またもや絵の選択をまちがえました。私は文字を打ちながらここにどういうことが描いてあるのか理解しているのです。このやりかたは 自分が 文字を目で追うだけではわからないからなのです。ここはやはりパート2にて鳥の群れ飛ぶ麦畑を出さなきゃ。では
《 2016.01.19 Tue  _  1ぺーじ 》