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シューベルト

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『音楽と文化』川上徹太郎著 創元社 昭和13年の続きです。
この絵はRosemary  Brown  の本からです。

シューベルト

 ドイツ浪漫派文学華やかなりし時代に、Geniale  Wilkin  という言葉がある。「天才の
恣意(しい その時々の気ままな思いつき)」とでも訳すべきか、つまり、天才に生まれたものの特権として、その情熱の赴くところ自由奔放な生活をすることが許される、という思想である。すなわち道徳的に見れば個人主義の極致みたいなものであるが、それだけ芸術家の感興が拘束なく伸びていくのを認めた。浪漫的な考え方である。そしてこの言葉が最もよくあてはまる音楽家を求めるなら、第一にフランツ・シューベルトに指を屈せねばならない。
 シューベルトは、古今の大音楽家のなかでも最も変わった人の一人である。他の天才は、モツアルトのような素朴な人でも、ベートーベンのようにがむしゃらな人でも、結局普通の音楽家のやっていることをひとまづやっている。しかしシューベルトのようにかたよった「天才の恣意」に身を委ねた音楽家はいないのである。それには彼が真に霊感に溢れた、即興的な作家であったことが第一の理由で、そのため十分な理論的な勉強もなしに、己が感興のむくままに傑作を次々に書きなぐっていったためである。彼は31歳の短い生涯の中に、一千近くの曲を書いた。その中に歌曲が600もあり、歌劇が19もある。聞いただけでも無駄な話であって、その中にはじっさい駄作があり、一つあれば済むような同じような作が多数ある。そのかわり傑作ときたら反対に僅か2、30小節の曲で優に古今の大交響曲に匹敵するようなものがめずらしくないのである。
 シューベルトは実に濫作をした。一日に歌曲を数曲書くなんて易しいことであったらしい。そのため器楽曲で傑作でないものは冗長なものが多いのである。例えば交響曲を9つ書いたうち、今日我々が演奏会で聞けるものは、第7のロ短調(未完成)と、第9のハ長調の2つだが、この第7のほうでも傑作でありながら冗長という気がする。彼の冗長さには、2つの要素がある。1つは彼が旋律に恵まれていて後からから息の続く限り歌い続けたためと、もひとつはおしゃべりのくせに()で、すなわち構成の上で簡潔な的確さが得られなかったのである。従ってソナタ形式のものにしても、第1テーマが歌なら第2テーマも歌で、ベートーベンのソナタのごとき雨テーマの明確な対比はなく、また展開部もぎこちなく、あるいは馬鹿正直にテーマをもち扱っているだけで、劇的なものが全くない。場合によってはテーマの展開などしなくて、テーマをもじって替え歌なんか歌って済ますことがある。そういえばモツアルトだって即興的な作曲家で、展開部に予定された構成なんかないが、それでも重要な音を的確に指示して、それを軸にして曲全体を転換することを忘れない。それに比べるとシューベルトは女性的で散文的である。

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シューベルトがはじまりましたね。
音楽の勉強をした訳でもなく 即興的で 女性的で散文的であるなどと書いてあります。即興的な曲作りをしたモーツアルトでさえも 重要な音を的確に指示して、それを軸にして曲全体を転換することを忘れなかったんですね。
「野バラ」を歌いながら 私もうっとりとしたことがありますが この人があふれるように書きなぐった人だなんて知りませんでした。
馬鹿正直にテーマをもち扱ってるだけで 場合によってはテーマのてんかいなどなくて、テーマをもじって替え歌なんか歌ってすますこともあった。

シューベルトさんこの出足は どうでしょう。ハンサムということにおいてはシューベルトさんが一番だったと たしかRosemary  Brownは書いていましたよね。めがねを取ったシューベルトさんはさらに

さいならさいなら
《 2016.01.11 Mon  _  1ぺーじ 》