who am ?I

PAGE TOP

  • 12
  • 30

ゴッホの話 あれやこれや

VAN  GOGH
ゴッホ全油彩画 インゴF・ヴァルター ライナー・メッツガー

この分厚い本は 長い間 読まなかったのですが 読んだり ゴッホの絵を見たりしているうちに いろんなことがわかってきて 面白くなってきました。
お正月を前に 何をしてるんだ? 

ゴッホは1888年テオとともにスーラを訪ねているんですね。点描のスーラ 点描にしたら 少し長い線の多いゴッホ。 スーラに影響を受けてるとは 知らなかったなあ なんてことを云うと 笑われるかな。パリではスーラを訪ねてから 2年間のうちに200枚以上の絵を描いてるんですね。200枚というのは私から見たら 多作なんですけど どうなんですか? 一緒に住んでいたテオはこの兄のゴッホのむずかしい性格に神経を病んでいってるのですね。1886年です。1890年にゴッホは死んでいます。

私はこの本を 途中からよんだり 逆から進んで行ったりしています。

1887年 ベルナールとゴーギャンと激しい議論を闘わせてまして(この時はまだゴーギャンと一緒には住んでいません)
「印象主義を絵画の発展の最終段階と見なすことを拒む」とあります。これは面白いですね。だって 今の我々からすれば 印象主義もやがて次の主義に取って代わられて行くのですからね。「印象主義だよ!」と言い切るゴーギャンたちの気持ちも解ります。こうして名作が生まれていくんですよね。芸術家ってしつこいからなあ(笑)

1885年 お父さんが急死。お父さんとは不仲だったんです。そうやろなあ。てをやいた息子ゴッホや。妹アンナとも言い争って とうとうシャフラトのアトリエに引っ越す。それがいいそれがいい。(なにいってんだ?)

ラッパルトとは5年間も文通してるんですね。ラッパルトって初めて聞いた名前。
ゴッホは文通が好きですね。じかに言い争うだけじゃ 納得できなかったんでしょうね。
でも ゴッホの作品を批判したというので腹を立てて 文通はストップ。こういう芸術家を批判したら 怒るやろなあ。 私? けっこう殻に閉じこもったりするで。

ゴッホがモデルにした農民の娘が妊娠して たぶんゴッホじゃないのに彼に責任をなすり付ける。それ以来ヌエネンのカトリック神父は ゴッホのモデルになることを 住民に禁止。ゴッホはそれ以来主として馬鈴薯、銅器、鳥の巣などの静物画を描く・・・か。

さいならさいなら

《 2015.12.30 Wed  _  1ぺーじ 》